岐阜県建築士会 まちづくり委員会

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ぎふHM 2023年度

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令和5年度 HM 第17日目

テーマ:「『私が見つけた登録文化財』の発表会」

    「文化財の創造的活用を目指して」(講習)

日時 :令和6年3月2日(土) 13:00~17:10

場所 :OKBふれあい会館 3階 301中会議室

参加者:23名

 

◆ぎふヘリテージマネージャーヘリテージマネージャー協議会 部会長あいさつ

 1年間お疲れさまでした。1月の能登半島の地震のあと富山県ではヘリテージ協議会調査業務を行うなどヘリテージマネージャーの重要性は高まっている。岐阜県でも今後ヘリテージマネージャーの重要性が高まるであろうから皆さんの活動に期待します。

 

◆『私が見つけた登録文化財』の発表

 グループごとに今年度調査してきた事例の発表。事前に提出したパワーポイントと配布資料によって発表し、グループごとにあいちヘリテージ協議会の講師による講評をいただいた。

 

【A班】「旧松井商店」

 「旧松井商店」」は岐阜市のかわら川原町の真ん中にある江戸時代の紙問屋。その問屋を営んでいた建物の調査報告。

<立地と建物の概要>

 川原町は長良川を利用した海運によって和紙や木材の流通のまちとして発展した町で、松井商店は川原町にて1817年に紙卸業として創業、1948年に紙原料部門「有限会社川星商店」となり現在に至る。現在の建物は1891年(明治24年)ころ東濃地方から移築したものと考えられる。

 

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<調査資料について>

 調査の方法は、文献資料として「旧中川原町町並調査報告」(S56.2 岐阜市教育委員会)を利用し、ヒアリング調査(7代目当主松井芳樹様、8代目当主松井一樹様)、および現地調査を行った。

<建築年代について>

 「棟札」、「古文書」はないが、1891年の濃尾地震のあと現在の旧松井商店のある場所に立っていた建物が撤去されていたことと、ヒアリング及び文献の記載から1891年ころの建築と判断した。なお設計者は不明である。

<旧松井商店の受賞歴>

 平成12年に岐阜市「都市景観重要建築物」に指定されている。

<旧松井商店の建築物としての特徴>

 建物は切妻平入、瓦葺で、東濃地方にあった旅籠を移築したものだが、川原町の町並みにあったしつらえである。建築物の特徴として次の3つをあげる。

 【特徴1】華のある建具の構成

 【特徴2】馬を通した通り土間

 【特徴3】2つの階段(客用と裏動線用)

 その他、防火に配慮した袖壁が設けられ、小屋組は登梁束立て方式である。

 

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<旧松井商店の評価>

 基準1:濃尾地震後から戦火を乗り越えて川原町の町並みを作ってきた建物であり、旅籠なら

     ではの豪奢且つもてなしのしつらえのある室の高い古民家であり、国土の歴史的景観

     に寄与しているものといえる。

 基準2:外観は2階建ての低い軒高の平入の商家で、2つの階段、客を出迎える板戸障子など

     旅籠の特徴をよく表しており、馬の通れる土間など岐阜の文化を象徴した造形の規範

     となっているものといえる。

 基準3:日本のすぐれた大工技術ならではの「移築」であり現在の建物では再現することが容

     易でないものといえる。

 よって旧松井商店は文化財としての価値が充分にある建物である。

 

講評:林秀和様(あいちヘリテージ協議会)

・ヒアリングというのは家主にとって建て替えられなかったという負い目や残してきたという誇

 り、家の中を見られることへの抵抗などさまざまな思いがあるので難しいものである。

・階段が2カ所あって家の者と使用人が使い分けることは一般にあることだが、階段については

 勾配や箱階段などの構造を見ると特徴がわかるので注意してみるとよいでしょう。

・「防火に配慮した袖壁」は「袖うだつ」という言葉を使用するとよい。土壁構造であれば袖う

 だつに該当する。

・小屋組を調査する時は貫の入れ方を調べるとよい。江戸時代に近い構造ではないでしょうか。

・出入り口に大戸はなかったでしょうか。明治時代ならあったかもしれないので釘の跡などを確

 認するとよいでしょう。

・評価において「再現できない」ことを挙げていたが、ちょっと言い過ぎかもしれない。伝統工

 法は再現できるものである。

 

【B班】「矢橋大理石株式会社 本社事務所」

 大垣市赤坂町にある大理石石材店の本社社屋の調査報告。

<矢橋大理石株式会社の歴史と地域の概要>

 矢橋大理石株式会社は大垣市北部の大垣市赤坂町に位置する石材店である。赤坂町は旧中山道の赤坂宿として賑わった宿場町で、古くから石灰や大理石産業が盛んな街であり、伊吹山地の南東に位置する金生山は日本一の石灰石生産地となっている。矢橋大理石株式会社は、明治34年に矢橋亮吉が石材の加工販売、工事請負を行う「矢橋大理石商店」を創業した。関東大震災以降、RC造が急速に普及するとともに国産大理石も多くの近代建築に採用され、矢橋大理石商店も多くの工事を担ってきた。現在の建物は昭和11年(1936)にRC造2階建てに建てられたもので、昭和38年に内部の改修を行っている。

 

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<建物の概要>

 敷地の東に東面して建ち、東西方向9m540、南北方向43m550の細長い建物。鉄筋コンクリート造、ほぼ総2階建ての建物である。屋根は陸屋根でパラペットが立ち上がる。現在も事務所として使用されている。建設は昭和11年、昭和38年に間仕切り壁の増設、各室の天井、壁、床の改装等を行っている。設計者は不明だが「矢橋南圃翁伝」より名古屋の城戸武男技師と考えられる。

<建物の特徴>

 外壁仕上げはモルタル刷毛引きリシン、外部建具はスチールサッシで正面となる東面、南面は縦長の上げ下げ窓(W600×H1800)が規則的に連続し近代建築の特徴を表している。内部仕上げは1階床がテラゾー真鍮目地切り、内壁・天井はプラスター塗りの繰型が施されている。玄関ポーチには明り採り用のガラスブロックが埋め込まれている。

<建物の活用について>

 赤坂宿には旧清水家住宅や矢橋家住宅などの歴史的建造物が多数保存され、大垣市景観遺産をめぐるウォーキングルートが設定されている町である。矢橋大理石本社屋も景観要素のひとつとして活用できると考えている。

<評価>

・昭和初期、戦前の数少ない鉄筋コンクリート造の建築物で、近代建築の特徴を有している。

・歴史的建造物が多数ある中山道赤坂宿とJR美濃赤坂駅の間に位置し、赤坂宿の町並みの景観要

 素および活用の場となりうる。

・以上より国土の歴史的景観に寄与しているものに該当すると考える。

 

講評:市川真奈美様(あいちヘリテージ協議会)

・この建物は昭和初期のRC造の建物で貴重なものであり、矢橋大理石の会社の歴史や創業者もは

 っきりしているので登録までできると良いと思います。

・設計者については城戸氏の事務所が現在も存続しているので調べてみるとよいでしょう。

・一般に耐震診断を行っても建て替えるのか補強するのか天秤にかけることも多く、愛知県では

 解体予定の建物の調査のみ行うものもある。現在耐震補強を前提に耐震診断を行っているとい

 うことなので、是非頑張っていほしい。

・HMとしては耐震改修計画と合わせて保存活用計画を提案してはどうでしょうか。

・登録基準としては国土の歴史的景観に寄与しているということと、スチール窓が造形の規範と

 なっていることが該当するのではないでしょうか。

 

【C班】「古民家あいせき」

 関市の中心部の本町通に面した古民家。間口4間半の南北に細長い敷地に建つ木造瓦葺2階建ての母屋のほか、中庭や茶室を備えた今日町家風の建築物。

<物件の選定作業について>

 今回の調査対象として関市「古民家あいせき」と瑞浪市の「JR釜戸駅」が候補に挙げられた。2物件とも管理者から調査の承諾を得ることができたが、資料の保管状況や既存図面の有無などから「古民家あいせき」を対象物件として選定した。

<古民家あいせきの歴史>

 明治20年(1887)に関市中心部の本町通に面して建てられた店舗併用の古民家。明治41年に関信用金庫の前身の「有限責任関信用購買組合」の事務所が置かれたが、業務拡大により組合が移転した後は再び個人住宅となる。1992年以降は「古民家山麓」の名称で作品展やお茶会など広く市民に利用されていた。令和2年に所有者から関市に寄付され、耐震改修工事等を行って新たなコミュニティスペース「古民家あいせき」として整備されている。

 

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<物件の概要>

 敷地は間口約8.5m、奥行き約50mの南北に細長い敷地で南面より出入りする。木造2階建ての母屋、水屋、納戸、茶室からなり、延べ面積は260.59㎡。母屋、水屋、納戸は木造伝統的工法、茶室は木造在来工法であり、京風町屋としては関市の中心部では唯一現存する建物。

<建物の特徴>

 外観は漆喰壁(腰壁は木仕上げ)、母屋の玄関は土間で店舗・帳場として使用されており道路面より約40cm高くなっている。2階は和室2室、板間2室で構成。東側和室の天井は屋根の形状に合わせた勾配がつけられている。茶室は大正後期から昭和初期にかけて増築されたもので建設当初の形式の形を保っている。

<改修について>

 令和2年に纐纈氏より関市に寄付され、令和3年に耐震改修工事を実施し、大正後期の状態に復元した。コミュニティスペースとして利用するため階段を1カ所新設している。構造体の約8割は既存の物をそのまま使用し、耐震性向上のため一部に構造壁を追加。コミュニティスペースとして利用するため階段を1カ所を新設、水屋部分はトイレと湯沸し室として利便性を高めている。納屋部分は裏側の障がい者用駐車場への通行に配慮した通路としている。

<考察と評価>

・当初は個人住宅として建てられたが地元の信用組合の事務所として利用された時期が長く、関

 市の町にとって歴史的・文化的価値が高い建築物といえる。通りに面したファサードや段違い

 になった屋根の構成は往時の関市の風景を彷彿されるものであり関市の歴史的景観の中心とな

 っている。

・建物の部材はほとんどが建設当初のものが残っており、重厚感のある木材や漆喰壁は日本家屋

 の趣きと同時に技術を現在に伝えている。

・建物の活用についても関市が積極的に利用促進に取り組んでおり、誰でも気軽に利用できるフ

 リースペースで多世代が多目的に利用できる施設となっている。

 

講評:奥村由美様(あいちヘリテージ協議会)

・調査の進め方については古民家の調査としてよい進め方であるが、資料の添付がないため年代

 などの確証がないので登録時に説得力が弱いと思われる。⇒発表の都合で割愛したが関市にて

 資料は保管している。(今井)

・調査や復元工事において過去の建築の痕跡が出てきたとこは、なぜそのような構造になってい

 たのかを考えておくことが大切である。棟札がないということだが改修時に屋根の材料などの

 復元の根拠はどうしたのでしょうか。⇒ヒアリングにて当時と同じものを葺いたと聞いている。

・コミュニティスペースとして改修を行っているとのことなので、是非有効活用してください。

 

【D班】「野麦学舎(旧高根小中学校野麦分校)」

 高山市高根町にある旧高根小中学校野麦分校の校舎。木造2階建て、切妻屋根鉄板葺き、昭和年完成の建物。現在は研修施設として使用されている。

<選定の経緯>

 調査対象物件として芝居小屋、中津川宿・落合宿の古建築、仁科吉五郎商店(酒屋)、高山市近代和風調査リストの物件、野麦学舎が挙げられた。中津川市文化振興課への問い合わせ、岐阜県図書館、下呂市教育委員への聞き取り、鳳凰座、野麦学舎の見学等を経て、最終的に野麦学舎を選定した。将来の修理保存にアドバイスできるとよいと考えている。

 

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<野麦学舎の立地と歴史>

 野麦学舎は野麦峠近くの標高1,324mの地点にある。かつては鎌倉街道とよばれ明治大正期の女工哀史で有名で、その後電源開発で近代化が進んだ地域である。明治7年に野麦簡易小学校として設立、現在の建物は昭和29年に建てられたものである。昭和56年に廃校になったが、平成7年に高根村が研修施設として改修、「野麦学舎」として再スタートし現在も市民団体「野麦学舎保存会」が維持管理している。

<野麦学舎の現地調査等>

 保存会会長より平面図、敷地図等を拝見、文献調査として「高根村史」、「野麦分校校史」を調査、野麦キャンプ場の管理人にヒアリング調査を行った。現地調査にて棟札を発見している。

<建物の概要と特徴>

 昭和29年建設の木造2階建て、延べ面積453.63㎡の校舎である。部屋の構成は、1階は玄関、雨天体操場、職員室、給食室、家庭科室、和室、事務室、トイレほか、2階は低学年教室、高学年教室、特別室、食堂、物入で構成される。現地調査にて棟札を発見し、施工は早川金吾、建設委員4名、大工7名の記載がある。雪深い地域であるので冬季でも体操ができるよう雨天体操場が大きくとられていることがこの建物の最も大きな特徴である。

<改修の経緯と保存活用>

 昭和29年に新校舎落成以降、数回の増築、改修を行っているが、1階の雨天体操場、2階の教室は建設当初より改装しておらず、当時の意匠を残している。2022年に保存会が譲渡を受け、その後毎年野麦学舎祭りを開催しており、野麦イササを披露し多くの方に野麦学舎と野麦地域の魅力を味わっていただくこととしている。

<評価>

 「国土の歴史的景観に寄与しているもの」

 ・廃校になってからも地域住民のてにより管理されている。野麦学舎保存会が活動し今後の利

  用も考えられており、野麦地区にとって中心となる建物である。

 ・学校としての機能と雪国の特徴をとらえた雨天体操場が建設当時の原形をとどめている。

 

講評:林秀和様(あいちヘリテージ協議会)

・建物の活用はその魅力を知ったうえで考えなければならない。一般の方が気付いていない魅力

 に気づかせてあげることもヘリテージマネージャーの仕事である。

・昭和30年前後の建物ならばそのころの小学校建築の基準を調べるとよいでしょう。小屋裏のキ

 ングポストなどが特徴的であり、そのような構造を用いてスパンを飛ばすことに魅力がある。

・屋根に金属板を使っているが、金属板は場所や時代によって違っている。金属板の裏にメーカ

 ー名が書いてあることもあるので、このようなことも調べて保存会に提案できるとよいのでし

 ょうか。

 

◆「文化財の創造的活用を目指して」

 講師:静岡ヘリテージセンターSHEC 塩見 寛 様

 「文化財の創造的活用を目指して:として9つのテーマに沿ってご講演をいただく。

 

塩見寛 様 講義風景

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①日本人は「歴史的」なものを、どのように捉えてきたか。

 日本人は古来より環境をそのまま受け入れて楽しむ感性を持っていた。日本三景という名所、江戸時代に描かれた北斎の富岳三十六景、広重の東海道五十三次などの版画などその時代の景観を描いたものであり、広重の「道灌山虫聞之図」はなんでもない風景の中に虫かごをもった子どもやお酒をたのしむ人たちが描かれており日本人の感性をよくあらわしたものである。明治になるとヨーロッパでジャポニズムブームが起こり浮世絵をはじめ多くの文化財が海外に流出し、「歴史的」なものが失われる危機が生じた。このころから「歴史的」という考えが生まれ、1881年古器旧物保存法以来、現在の文化財保護法に至るまで様々な法律で文化財を守ることが求められてきた。

 

②HMは設計の仕事とどう向き合っていけばいいか。

 焼津市の「花沢の里づくり」(伝統的建築物保存地区)の事例の解説。主屋ではなく付属屋が町並みを形成している地域。ここでは静岡県ヘリテージセンター(SHEC)が花沢の里保存会の要望に対応したが、住民や建物の所有者とHMがほどよい関係を築いていった好例である。特に歴史的な街並みを保存するにはしっかりした調査が筆世であるが、維持修繕を行う場合は費用が発生するため、どこから有償になるのかをはっきりさせておくことが重要となる。

 

③建築基準法第3条《適用除外》をどのように活かしていくか。

 文化財は文化財保護法に基づいて指定を受けると建築基準法の適用除外を受けることが可能であるが、必ずしも指定を受けなくてもHMが調査し価値があることを証明し建築審査会で議論することで文化財として扱える可能性がある。適用除外の基準となる「その他の条例」については京都市の条例が進んでおり、保存活用計画作成時に補助金が出るようになっている。国交省でもガイドラインを示しているのでHPで確認するとよい。

 

④「本物」か否かと、高価か安価をどう折り合えばいいか。

 日本の文化を木のぶんかということがあるが、石も建築に多く使われており建築文化の一面を作っている。静岡市駿府城の石垣の修復の事例では、静岡市は駿府城の石垣が地震で崩壊した後の修復を比較的安価なコンクリートではなく高価であるが実際の石組で修復している。本物の重要性を考慮した事例である。「よい景観が人をつくり、風景が人の心を作る。」という考えで、良い景観を作っていくことが重要である。

 

⑤文化財として指定・登録することを所有者にどう話をするか。

 有形文化財として登録するには所有者の承諾が必要である。ただ登録を受けても所有者にはあまりメリットがないのが実情である。HMの視点から良いものはきちんと評価しその魅力を所有者に訴えることが大切である。

 

⑥防災か文化財かの岐路に立った時、どう対処するか。

 非常時に市民の安全を確保することは最優先すべきことだが文化的価値のある物を守ることも必要である。静岡県では非常時のHMの活動マニュアルがあり、応急危険度判定を行った建物にSHECの連絡票を貼るなどして文化財を守るスキームを作っている。行政と建築士会が連携して活動することになるが、一方で左官、瓦職人、左官職人の方々と協定を結び非常時の活動に備えることも行っている。

 

⑦「史実に忠実」に復元する場合、バリアフリー化をどう考えるか。

 名古屋城の木造復元について、バリアフリー化のためにエレベーターを設置するかどうかが話題となっている。愛媛県の大洲城では天守に登るエレベーターは設置されておらず、展示を1階に集中するなどの工夫をしている。難しい問題であるが、「文化財のためのバリアフリー事例集」を参考にするなどして考えてほしい。

 

⑧都市計画事業により歴史的建造物が壊される、さあどうするか。

 静岡県菊川市では文化的価値のある赤レンガ倉庫を区画整理で解体撤去する計画があったが、住民組織が保存運動を行って換地計画を変更して公園用地として保存することとなった事例がある。市民と行政が協力して文化的価値のある物を保存した好例である。

 

⑨本来の機能がなくなったものに、価値はないのか。

 現在では火の見櫓の機能は失われているが、記憶の風景としての価値、地域の物語としての価値、まちづくりの素材としての価値がある。建物は建設当初の機能を失ってもその建物のもつ意味を活かすことで現代のまちづくりに活かすことができる。原爆ドームは当初広島県物産陳列館として建てられたものだが原爆で破壊され本来の機能は失われた。しかし建物はそのままの状態で保存され平和記念公園の計画の中に位置づけられて、今でも多くの人々の核兵器のない平和な世界への祈りの象徴的なものとなっている。宮城県南三陸防災対策庁舎も東日本大震災の遺産として保存が決定した。また静岡県では清水氏カトリック清水教会聖堂という木造でゴシック様式を表現した貴重な建物がある。2021年に協会として閉鎖された解体する話があったが、今後は移築して祈りの場所として当初の協会という機能ではなくだれもが利用できるものとする予定である。

 文化財を守るためには「ひと」「もの」「こと」「かね」を組み合わせることになるが、よく問題になるのは「かね」即ち資金計画である。行政の資金だけでなく民間でのクラウドファンディングなどの手法を活用しながら活動をすすめていきたい。

 

◆「岐阜県ヘリテージマネージャー等人材育成」講習会 終了証の交付

 令和5年度「岐阜県ヘリテージマネージャー等人材育成」講習会終了の授与。受講者を代表して上杉九未さんが受け取る。

 

◆ぎふヘリテージマネージャー協議会 福田部会長あいさつ

 

以上にて令和5年度岐阜県ヘリテージマネージャー等人材育成講習会第17日目を修了した。

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令和5年度 HM 第16日目

テーマ:寺の耐震事例 実施研修(講義・演習)

    各班による「私が見つけた登録文化財」グループ討議(演習)

日時 :令和6年2月3日(土)13:00~17:10

場所 :(一社)岐阜県勤労福祉センター ワークプラザ岐阜(中会議室)

参加者:21名

 

寺の耐震補強じ事例 改修工事における仕口・継手の事例を学ぶ

 岐阜県建築士会会員 加藤達雄 氏及び 宮大工 丹羽陽一 氏に講義して頂きました。

 上宮寺庫裏は江戸時代中期に建設されており、屋根は瓦葺、壁は荒土壁、基礎は石場建ての建物です。

 外周部は南・西面に外縁が囲み全面開放で、内部は畳敷広間が連続してつながる壁面のない状態。このような建物で耐震指数をクリアする状態にまで改修するには2~3000万円の工事費が予定されるが、住職からの要望により300万円の予算の中で出来る限りの補強が施されていました。

 採光を確保しつつ耐力壁を設置する格子壁がここでも採用されており、90㎜角の角材を使用し、@200で組まれていました。今まで他の事例で見てきたものよりはピッチが粗く、耐力指数は2.5倍と合板同様の解釈をされていました。基礎は手掛けず、書院座敷の天井板、廻縁、長押、鴨居などは解体しないようにして費用の削減がされており、やはり基礎を触ると費用がかさむなと感じました。

 この現場で最重要視されているのは、建物が大破しない、ということでした。小さな損傷でとどめ、人命の確保を最優先としています。伝統工法などの古くて広い建物では、耐震改修による予算は膨大となり、維持管理が精一杯なオーナーにとってはハードルの高い問題となっています。このようは現状を正しく伝え、予算の範囲でできることを行うという姿勢は非常に大切だと思いました。

 

丹羽氏による仕口・継手サンプル

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複雑な仕口                 左が組まれるとこの状態になる

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 また、宮大工の丹羽氏からは金物を使わない仕口、継手についてサンプルを見せていただきながら説明頂きました。部位に応じた仕口・継ぎ手の使い分けやサシガネだけで現場ですぐ角度などの加工が出きる手法はこれからの技術者にも継承していってほしいものばかりでした。

 このような技を設計士も理解したうえで、現場で活用できるようになると素晴らしいと思います。

 

各班による「私が見つけた登録文化財」グループ討議(演習)

 まず、各班による進捗状況を発表しました。ほとんどの班がほぼ完成しており、後は調整する段階となっています。次回の発表が非常に楽しみです。

 

各班による進捗報告             班ごとによるグループ討議の様子

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令和5年度 HM 第15日目

テーマ:真龍寺の耐震改修の事例について(講義)

    真龍寺現場視察

日時 :令和6年1月20日(土)10:00~15:30

場所 :午前 講義 (一社)岐阜県勤労福祉センター ワークプラザ岐阜(中会議室)

    午後 視察 真龍寺 岐阜市長良2509-1

参加者:21名

 

真龍寺の耐震改修の事例について(講義)

 

清水隆宏氏の講義風景

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 愛知工業大学准教授 清水隆宏 氏に建築物の概要を講義して頂きました。

 真龍寺は岐阜市の百々ヶ峰の南側麓にある寺院で、文献によると「戦国時代すでに、浄土真宗の寺として存在していた」とされています。

 本堂、玄関及び茶室、鐘楼、山門の4件は2020年に始まった本堂の耐震改修工事を経て、2022年10月31日に国の登録有形文化財(建築物)に登録されました。

 本堂、玄関及び茶室 (2)造形の規範となっているもの。鐘楼、山門 (1)国土の歴史的景観に寄与しているもの。として基準を満たし登録されています。

 真龍寺が国の登録文化財に申請したのは、本堂にある欄間の学術調査を2005年に岐阜工業高等専門学校が行ったことがきっかけだそうです。学術調査後の数年間に劣化がさらに進み、何とか残したいという住職の強い思いで改めて岐阜高専に相談したところ、本堂、玄関及び茶室、鐘楼、山門の建築様式や技術の貴重さが判明しました。また、名古屋大学大学院や森林文化アカデミーなどによる共同調査で耐震改修可能と判断され改修工事に至ったそうです。

 清水氏は文献・史料調査の心構えとして、直接関係のある史料だけでなく、周辺の住民が持っている写真を見せてもらったり、一見関係のないと思われるような資料を読み解くことで、誰も知らないことが分かるかも知れないという気持ちを大切にしているそうです。

 真龍寺には本堂の平面、境内の配置図が描かれた図面と、建設に必要ない部材の寸法や本数、金額などが記された見積書が二曲の屏風に貼り付けられた状態で保存されている史料があります。それによると本堂は明治14年に棟梁笠原治助により建てられたことが分かり、濃尾地震以前の建物で希少価値の高い建築物だと分かります。

 茶室は言い伝えにより、哲学者・仏教学者の久松真一による設計と推されており、茶道に造詣の深い久松は当地の出身で真龍寺の檀家であったという史料が現存するそうです。

 鐘楼は修理の際に屋根内部から発見された棟札から、本堂建築から約17年後に建築されたことがわかり、棟梁は笠原治七であったことが把握されています。

 山門は修理の際に撮影された小屋組みの写真に墨書きが写っており、それによると昭和23年に檀家から木材を寄贈されて棟梁村瀬省吾により再建されたことが判明したそうです。

 真龍寺に保存されている史料ではないですが、真龍寺から北へ約5km離れたところに大龍寺があります。大龍寺の境内の入口横に真龍寺の鐘楼を手掛けた棟梁の笠原治七の弟子たちが業績を称えて、昭和3年に建てた「笠原治七翁碑」があるそうです。その石碑からは笠原治七が笠原治助の後継ぎとなったことが刻まれているそうです。また、真龍寺の山門を手掛けた村瀬省吾が笠原治七の門徒であることも確認できたそうです。

 真龍寺の建設には熱心な檀家により多くの史料が残されただけでなく、同門の大工達との繋がりがあったことが分かりました。

 

真龍寺の耐震改修の事例について(講義)

 起雲社寺建築設計 野村健太 氏に耐震性について講義して頂きました。

 

野村健太氏の講義風景

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 伝統的構法木造建築物の定義から説明して頂きました。伝統的構法とは西洋の影響を受ける前の日本古来の構法で、丸太や製材した木材を使用し、木組みを活かした継ぎ手・仕口によって組み上げる軸組構法です。石場建てなど柱脚が移動する可能性のあるものも含みます。

 約20年前に阪神淡路大震災をきっかけに『伝統構法を活かす木造耐震設計マニュアル』が発刊されましたが、石場建ての柱脚が評価対象外であったり、構造計算上の問題もあり、これまでの社寺建築では伝統構法ではなく在来工法も多く採用されて来たそうです。

 2019年に『伝統的構法のための木造耐震設計法』が発刊され、石場建ての柱脚が評価対象になり、確認申請も申請出来るようになりました。

 伝統的構法木造建築物の定義は4つの分類にわけて定義づけされています。

定義1:使用する木材、定義2:部材の接合部、定義3:構造要素(水平力に対する抵抗要素)、定義4:柱脚の仕様です。共通して定義されている大切なことは変形性能が担保され、生かすことができるのが伝統的構法木造建築物だということです。

 真龍寺の耐震改修の流れの説明をして頂きました。

 耐震改修の依頼を受け、現況調査ののち現状建物を図面化する。限界耐力計算もしくは許容応力度計算による耐震診断をする。揺れやすさを確認できるwebサイトなどを利用してこの地域の地盤の特性を計算に加味する。地盤が悪い場合は伝統的構法を採用しない場合もあるそうです。

 真龍寺の地盤は比較的良好だったようです。それに基づいて耐震計画の検討・設定を行っていく。予算などの条件はもちろん、登録有形文化財に申請するということで、外観を残すこと、また高さがある建物なので風圧を考慮することも重要でした。面格子壁、荒壁パネル、仕口ダンパー、土壁など様々な材料・工法を取り入れて計画する。構造計算は震度6で最小限のダメージに設定。実施設計後、施工する。施工後、常時微動測定により真龍寺の耐震性の向上を確認したそうです。

 午後からの現場視察をより理解できるように基礎・床下補強、小屋組み補強、水平剛性、耐震壁、増築・収納新設、外構・外周部の各部分の改修を資料で説明して頂きました。

 

真龍寺現場視察

 紫雲山真龍寺第17代住職の浅野郁尚氏からご挨拶を頂いた後、3班に分かれて清水氏と野村氏から説明をして頂きました。

 

第17代住職 浅野郁尚氏の挨拶風景

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 講義で説明を受けた各部位の改修部分と登録有形文化財である建物を視察することでより理解が深まりました。

基礎・床下補強・・・基礎新設、土台・足固め新設、仕口ダンパー

小屋組み補強・・・柱新設、梁新設

水平剛性・・・構造用合板新設、火打梁、虹梁新設

耐震壁・・・面格子+荒壁パネル両面貼り、荒壁パネル両面貼り、土壁

増築・収納新設・・・物入れ・水屋増築、収納3箇所新設、引き出し新設、小屋裏収納新設

 

基礎・床下補強               小屋組み補強

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面格子                   面格子+荒壁パネル両面貼り、漆喰仕上げ

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茶室及び玄関の特徴

 本堂と庫裡を繋ぐ渡り廊下と、その南側の唐破風玄関、北側の切妻造の茶室からなる建物。茶室は四畳半で西面に床構え、床脇に円窓、東に水屋を配す。茶室と廊下境壁の腰を無双窓とし、来客を知る。

 寺院の機能的な玄関と接客空間。築年数は伝承と経年感による。昭和中期に北面躙り口を掃き出し窓にする等の改修。

 

茶室

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鐘楼の特徴

 入母屋造桟瓦葺、二軒、三斗組、格天井を張る。乱石積み基壇に、内転びの礎盤付円柱を貫・虹梁・頭貫で固めた方一間吹放ちとする。本堂棟梁の弟子の作で、地元大工の仕事ぶりを伝え、歴史的な伽藍景観を形成。築年代は棟札による。棟梁は笠原治七。

 

山門の特徴

 切妻造桟瓦葺、二軒繁垂木の薬医門で、袖塀に潜りを設ける。正面蟇股は精緻な龍を彫り、内部に小組格天井を張る。鐘楼棟梁の弟子の作で、地元大工の仕事ぶりを伝え、百々ヶ峰を背にして地域の歴史的景観を形成する。築年代は梁墨書による。棟梁は村瀬省吾。

 

 耐震改修を経て、国の登録有形文化財に指定された真龍寺ですが、住職や門徒、地元の業者など地域の人々に愛されているのが、山門を潜って境内に足を踏み入れた瞬間に感じることのできる空間でした。

 

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令和5年度 HM 第14日目

テーマ:「重要文化財建造物の保存活用事例について」

     ・全国の重要文化財の改修・整備の事例と、地域の景観・街並みに合った独自の活用

      手法の研修

    「保存活用計画の策定、補助事業の実施について」

     ・保存活用計画の策定事例について

     ・保存活用計画策定後の補助事業実施事例について

日時 :令和5年12月9日(土)13:00~17:10

場所 :OKBふれあい会館 14階 展望レセプションルーム

参加者:22名

 

次回のガイダンス

 令和6年1月20日(土)開催の第15日目講座(ワークプラザ岐阜・真龍寺現場視察)の説明がありました。

 特に開催時間が午前よりと変更になります、間違いのないようにとの事でした。

 

 最初に建築士会 石黒会長の挨拶がありその後講師の先生紹介があり講義が始まりました。

 

石黒会長挨拶                米澤貴紀氏 講義風景

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「重要文化財の保存活用事例について」

 名城大学理工学部建築学科 准教授 米澤貴紀氏に講義して頂きました。

・今日の目論見

 ・重要文化財建造物(以下、重文)の「活用」とはどのようなものであるのかの紹介。

 ・修理・整備が建物の価値を守るものであるとともに、活用を考えたことは一対であることの

  紹介。

 ・景観・街並みと重文の関係、整備・活用の事例紹介、特に文化的景観が重要である。

・文化財の活用とは

 ・文化財保護法第1条「文化財を保存し、且つ、その活用を図り、もって国民の文化的向上に

  資するとともに、世界文化の進歩に貢献すること」

 ・従来は文化財の保護に重点が置かれてきた。

 ・文化財に対する関心が高まり、積極的な活用が希望されるようになる。

 ・現代社会で機能している近代の建造物、居住等に用いられている民家等では、積極的に使用

  可能とし活用していくことが保存の前提。

 ・保存に対する配慮を欠いた利用は、その価値を損なうおそれもある。

 ・活用に当たっては文化財としての価値を損なうことのないように特別に配慮する必要があ

  る。

・活用の方針

 ・公開

  ・最も一般的な方法。文化財を気軽に眺め親しめる存在にすることが、地域における最も有

   効な文化財の活用の手法。

  ・建物内外の公開の機会を設けることが望ましい。

  ・外観の公開が基本。街並み、景観の構成要素となるものは、そこに在り続け、誰もがいつ

   でも眺められること自体が活用。標識や解説資料などの充実、文化財の外観を引き立てる

   周辺地区の整備等が望まれる。

  ・内部公開、敷地内に所在する文化財の外観公開では、所有者のプライバシー保護や宗教建

   築としての性格の保持、管理方法等との調整が必要。

  ●事例 円覚寺舎利殿 永保寺観音堂・開山堂 正福寺地蔵堂 角屋 泉福寺仏殿 法隆寺

      綱封蔵善堂寺庫裏

 ・機能や用途の維持

  ・文化財がもつ機能や用途を維持し、使い続けることは活用のひとつの在り方。

  ・文化財にとって建設当時の機能や用途それ自体が重要、それが維持されていることが文化

   的価値の一部となる。

  ・本来の機能や用途も、時代の変化により変わっていく。特に民家建築における居住の形

   態。

  ・これに応じた内部の改造等は、文化的価値を損なう可能性もあるが、従来の機能や用途

   が、維持される意義は非常に大きい。

  ・したがって、本来の機能や用途の維持を出来る限り図るとともに、既に機能や用途が失わ

   れている文化財についてもその復活が可能となるように十分に配慮すべきである。

  ●事例 吉田家住宅 福永家住宅 本芳我家住宅 箱木家住宅

 ・新しい機能や用途の付加

  ・建物が本来持っていた機能や用途が失われた後に、新しい機能や用途を加えて積極的に

   活用する方法。

  ・特に本来の機能や用途を維持できなくなった建物においては、公開の機会の拡大につな

   がり、文化財の魅力を広く伝える手法として有効。

  ・歴史的建造物の活用に名を借りて実質は文化財の価値の破壊行為となる事例も散見され

   る。

  ・機能や用途に当たっては、文化財の持つ価値の所在を把握し、改造等の実施による価値の

   損失を最小限にとどめ、むしろその魅力を引き出すような手法を確立することが求められ

   る。

  ●事例 旧第四高等中学校本館 旧名古屋高等裁判所 旧朝香宮邸 太刀川住宅・店舗

      那須家住宅 旧金毘羅大芝居「金丸座」

 ・現代的な用途での利用

  ・利用者のための環境と文化財の価値とのバランス。

  ・利便性、文化財のイメージ(経済性)

  ・エアコン、照明、コンセント等の位置(隠す)注意。

  ・バリアフリー、アクセシビリティ、WC、休憩所、売店など。

  ・文化財の価値と利便性のバランスに注意が必要。

 ・活用と文化財価値の両立

  ・文化財は、改変部分を含めて構造・空間構成・部材・各部の技法などあらゆる部分に独自

   の価値を見出せる。

  ・あらゆる面に価値があることを強調して現状を変えることを頑なに否定することは、改造

   を伴う活用の有効性を全く否定してしまう。

  ・本来の機能や用途を維持する場合でも、部分的な現状の変更は避けられないことがある。

  ・文化財保護の要である保存と活用の両立にあたっては、現状を変更してはならない部分

   と、変更もやむを得ない部分を十分に議論して認知しておく必要がある。

 ・文化財の価値に応じた判断

  ・文化財の価値は様々。

  ・位置や規模を含めた外観に文化的価値の力点があるとみなされるものがある。

  ・活用のための内部の改造は、文化的価値を必ずしも大きくは減じないと判断される場合も

   ある。

  ・細部に価値の力点があるとみなされるもの。

  ・装飾部材や特殊な技法・仕様を損傷しない配慮。

・景観・まちなちと重文の活用

 ・まちなみ・景観と重文建物

  ・景観・環境と一体となった文化財の保全活用が求められる。

  ・文化財が景観をつくり、景観が文化財の価値を守る。

  ・景観・まちなみの性格を重文建物が代表的に示す。

  ・まちなみ・景観の歴史と成り立ちを理解してもらうための活用。

  ●事例 内子町・本芳我家 京都三条通・旧日本銀行京都支店 竹富町竹富島・旧与那国家

      住宅 金沢ひがし茶屋街・志摩 函館・太刀川家住宅店舗・東本願寺函館別院・旧

      函館公会堂

・まとめ・文化財のほ保存と活用

 ・文化財としての価値を保つことが大前提。

 ・その上で、適切な活用の方法とそのための整備方針を考える。

 ・建物単体だけでなく、敷地全体、周辺のまちなみとの関わりにtういていも考える必要があ

  る。

 ・そこに建っている意味と価値、回りへの影響。

 ・建物の価値がどこにあり、それをどう伝えるか。

 ・物語(ストーリー)の設定が重要。魅力的な物語が建物の活用を促し、人々に知られ、保存の

  意識が強まっていく。

 ・建物、まちなみが、「国民の文化的資質の向上」「世界文化の進歩」にどのように貢献する

  か、を考えることになる。

 以上が米澤先生の話でした。文化財の保存・活用の重要性について事例を多く紹介して頂き有意義な講義でした。

 

 石黒会長より講師の先生の紹介があり講義が始まりました。

 

可児奈緒美氏 講義風景            講義風景

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「保存活用計画の策定、補助事業の実施について」

 県文化伝承課 伝統文化係 可児奈緒美氏に講義して頂きました。

1.保存活用計の制度について

2.補助事業について

3.保存活用計画の策定事例

4.計画策定後の補助事業の事例

1.保存活用計画制度について

 (保存活用計画制度)

 ・所有者・管理団体は保存・活用の方針を定め保存活用計画を作成し、国に認定を申請するこ

  とができる。

 ・認定保存活用計画に記載された行為(現状変更等)は、許可を届出とするなど手続きの弾力化

  が可能となる。

 【県内の策定事例】

  ・旧遠山家住宅保存活用計画(白川村・平成28年) 重要文化財

  ・旧北岡田家住宅保存活用計画(大野町・平成31年) 登録有形文化財

  ・旧宮川家住宅主屋保存活用計画(岐阜県・令和2年) 登録有形文化財

 ・保存活用計画期間と記載事項

  ・重要文化財(建造物)

   おおむね10年程度を想定して、個別の文化財ごとに制定

  ・計画記載事項

  ・文化財の基本情報等 ・文化財の保存活用の状況

  ・保存管理の方針・計画(保護方針、管理・修理計画) ・環境保全の方針・計画

  ・防災の方針・計画 ・活用の方針・計画 ・文化財保護に係る諸手続き

 【保存活用計画】

  ・平成31年 文化財保護法改正で法制化(平成11年策定指針)

  ・保存、防災、環境保全、活用の四計画

  ・所有者と行政の共通理解を醸成 <特に重要>

  ・文化庁長官の認定(法改正による)

   修理の届出の簡素化 現状変更の提案と事前許可

 【保存活用計画の標準構成】

  (1) 計画の概要    :建物の背景とその価値づけ

  (2) 保存管理計画   :保存管理の現状把握、価値づけの優先順位

  (3) 環境保全計画   :建物の周辺の環境について

  (4) 防災計画     :防火、耐火、耐風に対する状況

  (5) 活用計画     :慣例法規を踏まえ、総合的に活用

  (6) 保護に係る諸手続き:必要な届出・許認可等

  ・文化財建造物は千差万別、建造物ごとに活用の手法は異なる。建造物の個性に適した活用

   方針を立てることが望まれる。

 【登録有形文化財】

  ・県の申請の流れについて説明があった。

   1月に市町村の関係部署に申請物件があれば3月中に応募申請して、6~7月に文化庁に

   よる現地調査、登録候補物件の選定、諮問案の作成、と進行して行きます。

  ・登録有形文化財建造物修理等補助対象となる事業の内容

   設計監理事業、公開活用事業、災害復旧事業

  ・その他の登録有形文化財建造物の補助事業

   美観向上整備事業、活用環境強化事業、地域のシンボル整備事業

 ・保存活用計画制度の策定事例

  旧宮川家住宅主屋

 ・保存活用計画策定後の補助事業の事例

  旧宮川家住宅主屋 公開活用事業

 以上が県文化伝承課 可児様の講義でした。文化財の保存活用・補助事業、登録有形文化財の申請の流れを詳しく説明頂き有意義な講義でした。

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令和5年度 HM 第13日目

テーマ:地域の歴史的建造物と建築関係史料について

    ・地域の社寺建築や民家等の建築史料の調査・保存・活用について(講義)

    文化財建造物の修理・活用の実例

    ・伝統構法を守りつつ修理を行うには?重伝建地域内の実例(講義)

日時 :令和5年11月25日(土)13:00~17:10

場所 :(一社)岐阜県勤労福祉センター ワークプラザ岐阜 中会議室

参加者:20名

 

次回のガイダンス

 令和5年12月9日(土)開催の第14日目講義(ふれあい会館)の説明を行いました。

 

1.講義 テーマ:地域の歴史的建造物と建築関係史料について

         ・地域の社寺建築や民家等の建築史料の調査・保存・活用について

 元博物館館長 高橋宏之 氏に講義して頂きました。

 

高橋宏之氏の講義の様子

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 地域の民家や社寺建築等の歴史的建造物の調査と建築関係史料の活用についての講義でした。

 内容は、建築年代を示す資料・民家における痕跡の調査・各時代の面取柱の目安・建立年代区分近世社寺建築年代判定(虹梁)の説明を頂きました。

 

建築年代を示す資料として、

1 棟札 建物の新築、再建、修理などの折に作られるもので、工事の内容、年月日、施主、大

  工など施工者の名前、願文等が記されている。

2 普請帳 社寺や民家を建てたとき関係文章を綴ったもの。

3 墨書

4 瓦銘 瓦に生産者や施工した年月日などを陰刻したり墨書したもの。

5 伝承 地震や火災、社会的に大きな事件などの年を起点とした新築、再建などの伝承。(当家

  の云い伝え)

6 普請帳以外の文献資料 民家などにおける代々の日記帳、設計図書、家相図等、記念誌

7 その他 建築儀式に使用した鋸、式次第文書等。社寺建築など設計に使用された型紙等の資

  料で紀年銘のあるもの。古写真。

 これらを手掛かりにして建築年代を判定する説明をいただきました。

 

民家における痕跡の調査として、

1 後補柱の見分け方

2 失われた柱の証拠

3 後補の指物の証拠

4 土壁の証拠

5 板壁の証拠

6 開放の証拠

7 上ゲ戸の証拠

8 窓の証拠

9 雨戸の証拠

の調査をもとに建造物の痕跡をたどる説明をいただきました。

 

 建造物の年代判定方法として、各時代の面取方柱の目安にした判定方法で平安時代・鎌倉時代・室町時代・桃山時代・江戸時代・江戸時代末期の柱幅に対する見附割合の特徴の説明。

 近世社寺建築の虹梁による年代判定の考え方として、江戸時代初期から後期にかけての特徴を説明いただきました。

 以上が、髙橋先生の講義でした。建造物の調査方法についてとても有意義な講義でした。

 

1.講義 テーマ:文化財建造物の修理・活用の実例・伝統構法を守りつつ修理を行うには?

         重伝建地域内の修理の実例

 NPO法人あいちヘリテージ協議会 有限会社林技研秀設計 林秀和 様に講義して頂きました。

 

林秀和氏の講義の様子

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 文化財建造物の修理・活用の実例についての講義でした。

 内容は、伝統構法を守りつつ修理を行う方法を重伝建地域内の修理実例を対象にして、講義して頂きました。

 伝統構法(柔構造)と在来工法(剛構造)の違い、伝統構法・在来工法それぞれの軸組の特徴、想定される地震の揺れ幅の特徴を説明して頂きました。

 

ケース1 足助本町郷蔵

土蔵:切妻造り桟瓦葺き 桁行2.5間 梁間4間 外壁:塗り漆喰簓子付下見板張り 東出入口庇

   付き

現調調査・腐朽調査

 建造物の雨漏り箇所や荒壁・中塗りの補修跡を特定し各所腐朽具合を予想。

 床下:山からの湧水の為湿気過大、床組の脆弱性。

 屋根・壁:2階内壁に野地板から雨漏跡あり、葺き土の流出・木部の普及が見受けられる。

 外部:外壁塗籠漆喰のハチマキ部分の剥落。

改修・補強計画

 床補強・改修計画

  湿気対策:床下残土鋤取り、防湿コンクリート打設

  構造補強:足固めの新設、柱部やとい材ケヤキ赤身蟻落とし+埋木

       足固め材120*120桧 込栓樫材Φ18

 柱補強・改修計画

  構造補強:柱取替 柱120*120桧 やとい材175*120*36ケヤキ 込栓Φ15

           通し貫30*105杉 楔杉材

       柱脚部分、土台の普及がない事を確認しやとい材+込栓にて固定

       柱頭部分、既存柱と接続部を長ほぞ車知栓+込栓止め

       柱中央部分、修理柱を立て込む際2階床梁を挿入しながらと取付

       柱間部分、本貫3段通し貫楔止め

 全体改修計画

  屋根:桟瓦葺き替え

  外壁:漆喰塗全面塗替え(鉢巻き部分塗替え)

     簓子付下見板張り部分補修、部分取替

  玄関土間:床嵩上げ(足固め施工により)

  出入口引分け戸:既設再利用(鏡板張替三重貼)

  内壁:小舞壁、塗籠の縄だし、荒壁下地中塗り仕上げ

     壁の長期利用のため、通期の為に桧板張り

 

ケース2 足助田町 いづつや

 店としての大開口の維持及び2階街道側の開口を含めた意匠復元。

 

ケース3 足助旧山本金物店

 大開口を維持したまま耐震改修及び建物修理。

 

 実際に改修された、重伝建地域内の3物件を対象に改修要点や改修方法・留意した点を説明していただきました。

 

まとめ

・改修する建物の創建時代を考慮し補強方法を選択。

・構造補強なのか、意匠優先の補強なのか検討。

・後世に文化財を残すために創建当時の部材を残す方法を優先する。

・重伝建地区内の伝建物ば街並みの保存の意味合いが強いが、その中で重要な建物も含まれてお

 り、修理には特に注意が必要である。

・補強方法は建物ごとに違うのでその都度考える必要があり、補強方法をなるべく多く蓄えてお

 くことが必要である。

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令和5年度 HM 第12日目

テーマ:「重要文化財建造物の保存修理と構造技法」について

   :「登録文化財(建造物)や各地域の歴史的建造物の概要及び保存活用の意義」について

日時 :令和5年11月18日(土)10:00~15:00

場所 :午前実施研修 大寺山願興寺修理現場見学会

           霊宝殿拝観(重文仏像24基)

   :午後講義   中山道みたけ館 2階郷土館ホール

参加者:23名

 

次回のガイダンス

 令和5年11月25日(土)開催の第13日目講座(ワークプラザ岐阜)の説明を行いました。

 

「大寺山願興寺修理現場見学会」

 現在、解体修理中の願興寺本堂の現場見学会を行いました。現場内の説明については、工事監理を行っている、公益財団法人 文化財建造物保存技術協会 内山氏に案内して頂きました。

・願興寺の概要

 願興寺は、旧中山道御嵩術にある天台宗寺院で、大寺山と号し、古くから可児薬師の名で親しまれ、広く民衆の崇敬を集めてきました。寺の草創は、寺の伝記によれば伝教大師最澄の東国下向の際に、この地にとどまり、小堂を建立し、最澄自ら作成した薬師如来像を祀ったことに始まると言われている。

 その後、長徳4年(998 平安時代)に至り、本堂、宝塔などの伽藍造営が行われた。当初の伽藍は天仁元年(1108 平安時代)戦火によって焼失したが、貞治、応永頃(1362~1428 南北朝時代)には諸堂が再興された。

 しかし、元亀3年(1572 戦国時代)には、武田軍の戦火により再び消失し、天正9年(1581 安土桃山時代)に本堂のみが再建された。

 現在の本堂は、この時代のもので、近在の百姓、玉置与次郎と市場左衛門太郎の2名が発願し、近隣の人々から浄財を集めて建立したと云う。そのため使用されている材料には、寺院建築にはあまり用いない、曲がった柱などが見うけられるほか、焼失した前身の礎石を再利用されているなどの特徴がある。

 

・願興寺の文化財指定

 大正3年(1914)、戦国時代の戦火を免れて本堂に安置されていた本尊ほか二十四躯の仏像が、旧国宝に指定されました。

 本堂は、昭和31年(1956)県指定文化財となり、その後昭和61年(1986)には重要文化財の指定を受けました。

 

・願興寺の修理概要と建物の規模・特徴

 本堂は、建立以来、分かっているだけでも大小合わせて10回ほど修理が行われてきましたが、全解体修理は行われていません。

 現在行われている保存修理事業では、基礎からすべて解体し、修理を行う計画とし、平成29年(2017)11月より令和8年(2026)7月までの工期で予定されている。

 見学時は、木造軸部の組み立てが終わり、耐震補強工事のうち、鉄骨柱などの主体部と天井裏に設ける鉄骨水平構面の設置が完了したところとなる。

 願興寺は、天正9年(1581 安土桃山時代)に建立。構造形式は、桁行7間(27.48m)梁間5間(17.3m)一重寄棟造、向拝1間、鉄板葺、床面積549.7㎡、建築面積1,020㎡(県内では最大)

 平面は、周囲1間を開放的な広縁とし、中央柱間3間を同じ柱間寸法にするなどの特徴があるほか、建てられた当初の室内空間は、桁行3間、梁間2間と小さく、その後段階的に拡張されて現在の規模となったことが分かった。明治の初めころまでは、仏像と参拝者の距離が近く、庶民信仰的な要素が強いお堂だった。また、庶民が建立した寺院ということで、財政的な事情から、柱に使われている樹種が9種類も使われていることは、他にも例がない。

 

・工事工程

平成29年(2017) 11月着工 仮設工事及び解体前調査

令和 3年(2021)  3月   解体工事 完了

令和 5年(2023) 11月   躯体軸部及び鉄骨耐震補強

令和 8年(2026)  7月   完成予定

 

・工事状況

 令和3年2月に解体工事が完了したことに伴い、今まで明らかにされていなかった部分も判明することができた。

 本堂は、天正6年(1578 安土桃山時代)ころから建てはじめ、寛永元年(1624 江戸時代)ころにコケラ葺の屋根が整い、現在の姿に近い形となった。しかし、このころの本堂の規模は、桁行3間、梁間2間の小さな室内だった。その後、江戸時代中期に桁行方向のみを東西1間ずつ拡張し、桁行5間、梁間2間となった。同時に仏壇も拡張し、5間長仏壇となった。文化13年(1816 江戸時代)には、柱や桁を取り換える大きな修理をし、明治17年(1884)から大正13年(1924)ころまで続いた一連の大改修により、屋根は桟瓦葺となり、平面は梁間方向南に1間拡張して、桁行5間、梁間3間の現在までの規模となり、内陣には仕切りが設けられた。現在の姿は、昭和59年(1984)に、桟瓦葺をコケラ葺風鉄板葺に変えたものになっている。

 今回の改修では、お寺と国の許可を得て、外陣が室内に取り込まれる前の江戸時代末期ころの特徴的な平面に復元することとなった。

 

 解体時に判明した歴史的は発見や発掘調査については、次項の「登録文化財(建造物)や各地域の歴史的建造物の概要及び保存活用の意義について」で記すこととする。

 

「登録文化財(建造物)や各地域の歴史的建造物の概要及び保存活用の意義」について

 御嵩町 生涯学習課 文化振興係長 栗谷本真氏に講義して頂きました。

 

講義の様子

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 まず初めに、御嵩町の原始時代、古代、中世、近世、近代の歴史を触れ、近世の宿場町とし、現代の亜炭鉱による町の発展について、お話ししました。

 

 町内の指定文化財は、国、県、町あわせて64件あり、町としては多くの文化財を保有している。その中でも、建造物は10件あり、町としても積極的に保存活動を行っている。

 今回、大改修を行っている願興寺は、町内としては過去に類を見ないビックプロジェクトとなっている。工事の概要や建物の特徴は、前述通りなので、この項では割愛する。

 

 工事着手にあたり、解体前調査や解体工事を進めていくと、寺伝ではわからなかった部分や新たな発見が多くあったそうです。また、過去10回ほどあった改修工事の年代特定は、解体時に木材の裏や棟札に墨書が記されており、増改築の千篇がわかる良い資料となった。

 寺院の周りを、仮設の素屋根を組むことで風雨から建物を守ると同時に施工性にも配慮して計画している。解体工事を進めるうちに、天正6年の参拝者による墨書が出来てきたことにより、建立は天正9年だが、それより以前から建物の大枠は出来ており、参拝者がこの場を訪れていたことが分かり、新たな発見となった。そのほかにも、この建物の建築に携わった大工の名前や材の番付など、解体したことで判明した貴重な資料となった。

 その中でも、前述記載した柱材に9種類もの樹種が使われていたことは、現在でいうところの地産地消、地域住民の持ち寄れる範囲で寺を再建しようとする、当時の人々の思いが垣間見える。

 解体工事が終わり、礎石と宮殿のみとなったことで、基壇の調査をすることが出来るようになり、短い時間であったが現地調査を行った。調査の結果、礎石の多くは2回の焼失の前のものを再利用しており、歴史的にも価値のあるものであるので、補強し再び礎石として利用することとした。また、基壇の発掘調査では、寺伝の通りの2回の火災痕と平安時代の前身本堂の基壇と思われるものも確認された。そのうえで、寺院躯体の構造補強鉄骨の基礎コンクリートは、基壇を傷めないように根入れをせずに、据え置きとした。

 また、柱については、国に残すように指示されたことで、痛みの激しい材については繕い補修することで再利用できるようにした。

 以上のように、解体したことで数多くの発見があり、今後もよりよい保存のための一助となるように資料として保管していく必要がある。

 

■最後に

 今回の講座で、国重文の改修方法、保存方法の手法を知ることができました。特に解体することでしか知り得ない事実もあり、歴史的建造物の保存の奥深さを学ぶことが出来ました。

 今後の講座でも、今回の内容を活かして学んでいきたいです。

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令和5年度 HM 第11日目

テーマ:歴史的建造物とは?建物の見方、ポイント(講義・演習)

日時 :令和5年10月14日(土) 10:00~16:00

場所 :午前講義 海津市 SSドローンプラザ 会議室

    午後実地 国指定重要文化財 早川家住宅

参加者:20名

 

国指定重要文化財 早川家住宅(農家住宅)についての概要説明(講義)

 名古屋工業大学名古屋工業大学 名誉教授 麓和善 氏に講義して頂きました。

 

麓和善氏の講義風景

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① 初めに文化財の区分についての説明

 1)指定文化財は国指定・県指定・市町村指定がある。但し補助金額が多い為、個人(建物所有

   者)が勝手に壊せない。

 2)登録文化財 補助があるのは設計監理費用と税制優遇で工事は補助金は出ないが登録解除

   ができる。

 3)選定による文化財 例えば伝建地区(文化庁に選定してもらう必要有)

② 早川家の重要文化財指定の作業の流れ

 1)配置図(植栽も含む)

 2)現況写真撮影

 3)現場実測に依る平面図・矩計・小屋組み等

 *作業における注意点 棟札は外さない(破損する恐れあり)

③ 重要文化財 早川家

 早川家は、岐阜県下屈指の豪農で、江戸期から現在地に広大な屋敷を構えていたが、明治24

年(1891)10月に東海地方を襲った「濃尾地震」で、甚大な被害を受けた。

 当時の早川家当主は17代周造で、幼少から漢字、華道、茶道を学び、教養を身につけた文化

人であった。明治16年に20才で家督を継ぐが、明治12年に三郷村戸長、同17年に南濃銀行

頭取、高須第七十六銀行取締役になるなど、若くして要職にもついていた。

 28才の時であるが、すでに社会的重責を担うだけの経験も備えていた。また、明治30年6

月には多額納税者の互選により、貴族院議員にも当選した。漸庵、利得庵と号し、茶人との交流

も深めた。

 濃尾地震後の再建は、まず主屋から始められ、明治25年3月に手斧始、同25年12月に上

棟式が執り行われ、明治27年後半には竣工した。大工は名古屋の伊藤市朗治一統である。離れ

である嵯峨廼舎と小室及び湯殿・雪隠は、明治32年に建前が行われ、翌年に完成した。

 

国指定重要文化財 早川家住宅(現地視察)

 麓和善氏、早川氏に解説して頂きました。

 

 早川家では、明治24年(1891)年の濃尾地震により甚大な被害を受けたため、17代当主早川

周造が自身の意向により当時の最先端技術を駆使して地震対策・水害対策を検討した。松杭とコ

ンクリートを用いた地震補強・筋違・火打梁・地震梁などの構法を採用した画期的工法を尽く

し、災害に対する備えを強固にした屋敷を明治37年(1904)に再建した。

 また、茶の湯の精神が行き届いた伝統美を持つ数寄屋造りも取り入れ、千利休の茶道を継承す

る三千家の一つである武者小路千家八代一指斉と中京界の茶人として著名な村瀬玄中などの指導

を受けて茶室や庭園が造られた。

 主屋広間には床の間や付書院が造られ、一指斉の花押が刻まれている。床を構えた和室には次

の間と和敬室、離れには嵯峨廼舎と小室があり座敷の格式や用途によって異なる特色を持つ。

 また、これらの建物の普請関係書類も豊富に併せ持ち、大規模で秀逸な意匠の近代和風住宅と

して百年以上の重みが感じられる。

 主屋・裏座敷・洋館・辰巳庫・下男部屋・辰巳隅職人部屋・飯米庫・西ノ庫の八棟、これらと

係わりを有する表門・裏門・髙塀など、それらが一体をなして文化的、歴史的価値を形成してい

る。

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令和5年度 HM 第10日目

テーマ:「伝建地区である岩村町本通りの保存・活用計画と運営の実態」

日時 :令和5年9月16日(土) 10:00~15:00

場所 :午前講義      岩村町コミュニティーセンター 2階会議室

    午後講義・実地研修 講義の後 伝建地区・浄光寺・加納家(恵那市指定文化財)(見学)

参加者:23名

 

建築士会福田様挨拶のあと NPO法人いわむらでんでんけん鈴木会長より講師の紹介

 

鈴木繁生氏による講師の紹介の様子      三宅唯美氏による講義風景

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「岩村城下町のの成立と変遷」(講義①)

 恵那市役所 教育委員会事務局 生涯学習課 課長補佐 三宅唯美様より講義をして頂きました。

1.戦国時代以前の岩村

  加藤景朝が岩村へ来た文治元年(1185)をもって岩村城総築の年としており築城とは表現して

 いない。当時の居館は平地にあった。遠山岩村氏の本拠としての岩村城の総築は鎌倉初期だ

 が、戦闘能力を充分備えた山城への発展は鎌倉中期、室町中期とする説があって明確ではな

 い。

  元亀3年(1572)から天正3年(1575)の織田と武田による岩村城争奪戦により居館も含め城下

 町も破壊され消滅した。

2.都市計画と建設過程

  近世城下町の形成は松平家乗に始まり(1601)その子の家寿の代に完成した。

  家乗は城麓も高台に藩主邸を構え、これを中心に数位の山を防御ラインとし、この盆地に城

 下町を形成した。城下町のほぼ中央に流れる岩村川に重要な役目をもたせ、川北を武士街と

 し、藩主邸から西と北への地形を巧みに利用して武家屋敷を配し道路も防御線を考えて造られ

 た。川の南に一条の町通りを作って町人街とし郭内専土型の近世城下町となった。城下町の完

 成までに30年余りを要し、実質岩村領2万石の大名にとって大変な労力と費用をかけての築城

 であった。

3.城下町の概要

  江戸時代の岩村城下町の状況は天保白絵図でうかがうことができる。本図によると、城下は

 登場坂が大手筋として真直ぐ西方へ伸び、これに2本の横筋(現上横丁、中横丁)が直行し、そ

 の北端は乗政寺山麓、東西方向に馬場通りとなり乗政寺山麓で屈折して新市場を通り木曽街道

 となっている。

  大手筋と両横丁に面して侍屋敷が配され、馬場通りに面しては馬場が建てられ、馬場通り西

 半から新市場にかけて、侍屋敷・中屋敷・足軽屋敷が配されている。川南の東西方向の道(現本

 町通り)に面し、この道沿いに町屋が並んでいる。本町通りの桝型や各所の木戸も描かれていな

 い。

4.近代の市街地拡大

  徳川時代において、武士街はしだいに空洞化し変わって、町人街の発展へと変わっていっ

 た。

  町人街は西町、新町の拡張が見られ新しい商人町が形成された。近代において岩村電車・

 国鉄明智線岩村駅の開業によってさらに新町が発展し現在の町並みが形成された。

 

「伝建地区の現況及び保存活用計画と運営」(講義②)

 恵那市役所 教育委員会事務局 生涯学習課 歴史資料整備課 課長補佐 三宅英機様より講義をし

て頂きました。

 

三宅英機氏による講義風景          講義風景

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1.町並みの保存

  保存地区内の建築物は、長い年月の風雨に晒され、雨漏りがしたり、壁が傷んだりしてき

 ています。

  また、生活スタイルの変化や、新しい建築材料の登場もあり、昔の伝統的な建造物の外観

 が少しずつ変化してきています。この個々の建造物のわずかな変化が、岩村町の本通りの町

 並み全体を大きく変えてしまうことにつながってしまいます。この岩村町本通りの伝統的な

 町並みを住民の皆さんと一緒に守り、後世に伝えていくために、いくつかのルールと助成制

 度が定められています。

2.現状変更の許可

  保存地区内で行われる建築行為(増改築、修理、解体など)が町並みを大きく変えてしまう

 ことにならないように、その計画をあらかじめ教育委員会に申請して頂く必要があります。

  看板の設置、エアコン室外機等の設備機器の設置の他、土地の造成のように直接建物を触

 らないような行為についても、申請が必要な場合があります。

3.助成制度について

  保存地区内の建築行為で、建造物の外観を一定の基準に基づいて整備する場合、予算の範

 囲以内で補助金が交付されます。

  昭和戦前以前の建造物で、今後も保存していくことに所有者から同意を頂いているものを

 「伝統的建造物」としています。伝統的建造物に対して行う工事を「修理」、その他の建造

 物に対して行う工事を「修景」と呼んでいます。修理と修景では、補助金の額や基準が異な

 ります。また、主屋・土蔵、付属屋によっても補助金の額が異なります。この助成制度は、

 伝建地区内の建造物が「文化財」という国民の財産でもある側面を併せ持っていることから

 行われていますので、一般的な住宅のリフォーム等とは異なる意味があります。また、工事

 の完了が保存修理事業の完了ではなく、工事後の兼造津物を適切に維持管理し、良好な状態

 で後世に伝えていくことが、この助成制度の目的です。岩村町本通り伝建地区の町並み保存

 は、住民の方と行政が協力して取り組むことで成り立っています。

  この歴史ある岩村の町並みを保存しつつ、住民の方がこの町に誇りを持って住み続けてい

 けるよう、保存修理事業を進めて行くことが大事です。

  住民の方に対して修理修景事業の簡単なルール説明用として「いわむらデザインガイド」

 を平成23年に発行して事業に対する理解を得るように周知を行っているところです。

 

次回のガイダンス

 令和5年10月14日(土)開催の第11日目講座 海津市 SSドローンプラザ(旧ふるさと会館)会議室の説明がありました。

 

「岩村町の文化財建造物の保存修理と構造方法」

 NPO法人いわむらでんでんけん 志津美穂様より講義をして頂きました。

 

志津美穂氏による講義風景

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伝建補助事業修理プロセス

1.聞き取り調査

  物件担当者とでんでんけんメンバーもう一人、最低2名で現地調査に入る。

  所有者の方、特にご高齢の人に建物の変遷について聞き取り調査を行う。

2.現地調査、現況図作成

  現地調査は、現状平面図、現状立面図、現状矩計図をとり、スケッチする。

  現状平面図とりは、家財道具等荷物が沢山ありスケールを1人で扱うには少々困難である。

  また、この時に柱の大きさを拾っておく(解体してみると、たまに柱が五平になっていること

 がある)。現状立面図は忠実に拾っておく。たとえば、タイルの1枚の寸法・格子の形状寸法

 等、矩計図も解体しないと判らない部分はありますが、出来る限り正確に拾っておく。また、

 屋根の修理工事も行うのであれば、屋根に上がり実測しておく。このような調査があるので2

 名以上で行うようにしている。また、現況写真を残す。

3.復元計画(文化庁現地指導)

  文化庁の現地調査時に復元計画を諮り、修理の方向性(復元をベースとする)を決定する。

  復元計画では、市などが保有している古写真を利用している。復元(外観の)の根拠である証

 拠写真よりも前の痕跡がある場合、どちらを優先するかが最大の悩みです。いずれにしても、

 建具等の形状は江戸時代に遡って復元することは難しく、古写真を参考にしている。

4.実施設計

  文化庁の指導を基に図面及び計画を修正し、実施計画へと移り、設計積算書を作成する。次

 に、元請業者の選定を行い、元請と設計士で打合せを行い伝建物とリフォームの違いを説明し

 理解を求める。契約時に工期等を決定し、本工事へと入る。

5.全体の監理及び解体の伴う痕跡調査

  本工事に入って、解体してみないと判らない痕跡を調査するには、元請業者との綿密な打ち

 合わせが必要となる。

6.痕跡調査を基に痕跡図を作成

  解体を伴う痕跡調査の結果を図面化し写真とともに保存する。修理計画と痕跡との整合性を

 確認する。痕跡調査で判明した新事実で計画の矛盾が判明した時は、市役所の文化課と相談士

 文化庁の指示を仰ぎ計画変更を行う。

その他、施工中に注意すること

「塗装」

  塗装をするときは古色仕上とするもしくは塗装をしない(その建物の現状の色に合わせる)。

  塗装に関する取り決めは岩村にはありません。設計士と所有者さんとの話し合いで決めて行

 きます。本来、外部に塗装をすることは少ないため、無塗装とし年と共に色あせていく儚さを

 楽しんでいただけるような説明を所有者さんにしています。

「建物の高さ」

  建物の高さ(矩計)の変更はしない

  揚屋に伴う工事の場合は柱の長さを守るの、町並みに合わせた高さを守るのか?

  それは、その建物の矩計を維持するのか?現況の町並みを守るために軒の高さを維持するの

 か?この2つのテーマは似て非なる事項です。

  伝統的な修理には大体、土台の修理が付いて回ります。大規模になるほど足元(土台)の修理

 は欠かせないものとなります。でんでんけんの中でも未だに意見がまとまっていない状況で

 す。

「軒先」

  バスが走っていた時代に縮めてしまった軒先を出来る限り伸ばし復元する。

  軒高の低い建物の軒先をどう扱うかが課題です。軒先の復元の在り方も未だに決めかねてい

 ます。それは建築当初は、大屋根、下屋の雨水は水路に流れ落ちていたものが、明治後半~昭

 和時代にバスが運行することとなり、水路は側溝となり水路まで伸びていた下屋庇は切り取ら

 れてしまいました。復元することは可能ですが、問題も発生します。

  1.道路敷内への越境

  2.軒高が低いため、箱形のトラックがぶつかる

「調査をしても明確な痕跡が出てこない」

  改築が多く痕跡が残っていない⇒『現状維持』とする。

  現存しない建具などはどうするのか⇒その他の地域で多くみられる形に合わせる。

「講習のまとめ」

  伝建地区に指定されて国、県、市からの補助金を頂いて個人宅の建物を修理する。

  補助金を使う=個人宅であっても文化財と同じ扱いであるから全て復元するのか?

  住みにくい家ならいらない、いっそ解体して新しい家で修景してしまえばいいのか?

  この矛盾する2つの意見を幾度となく文化庁の担当者と相談しました。

  答えは「聞くものではなく自分たちで出すものだ」とご教授頂きました。

 

恵那市岩村町本町通り伝統建造物保存地区(現地視察)

 引続きでんでんけんの皆さんの案内で地区内を見学しました。

 

「中根家修理工事」(修理工事中)

 今回、見学した中で唯一、修理中の建築物である。外部はほぼ完成となっていたが、2年がかりの大規模な工事であった。

 

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「恵那市指定文化財 加納家」

 加納家は岩村藩付きの鉄砲鍛冶として、鉄砲を製造していた家である。

 建物は文政年間以降に建てられたもので、天保2年(1831)12月に、加納家が移り住み鉄砲鍛冶を生業として生活していた。道路に面する壁は漆喰で塗籠められていて岩村藩にとっては重要な建築物であったことが分かる、加納家の裏は明治12年(1879)までは鉄砲の試射や練習出来るような広場があったといわれている。

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「恵那市指定文化財 浄光寺」

 この浄光寺は、社寺建築では珍しい蔵造りで屋根面に土壁が塗籠められた置屋根造りの建築物である。

 土壁が屋根の上にあることで重量が重くなっている。そのため小屋組を鉄骨で補強し修理工事を実施したそうです。

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 今回の講座で、それぞれの伝建地区内での課題が存在することを知る機会を得ました。

 地域住民の方と設計者との打ち合わせが大変重要であると同時に、施工者においても伝建地区内の建築物を修理することの心構えが必要であると感じる町歩きでした。

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令和5年度 HM 第9日目

テーマ:「高山市伝統工法木造建築物耐震化マニュアル」に即した限界耐力計算方法と耐震補強要素についての解説(講義)

    「飛騨高山まちの博物館」、重伝建「上三之町」古い町並み・「高山市政記念館」・国指定重文「料亭洲さき」(見学)

日時 :令和5年9月3日(日) 10:00~15:30

場所 :飛騨高山まちの博物館・上三之町伝建地区・高山市政記念館・料亭洲さき

参加者:21名

 

1.「高山市伝統工法木造建築物耐震化マニュアル」に即した限界耐力計算方法と耐震補強要素

  についての解説(講義)

 講師:建築士会飛騨支部 田村嘉伸 氏

 

① 田村嘉伸氏の講義の様子          ② 講義風景

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 「高山市伝統工法木造建築物耐震化マニュアル」(以下「高山マニュアル」と略す)を使用し、伝統工法の建築物の復元力特性と近似応答値を利用して耐震診断と補強方法についての講義でした。

 内容は、地震応答値の取り方及び耐震要素としての土壁や垂れ壁付き架構の復元力特性の求め方について計算式をもとに説明を頂きました。

 地震応答値については、高山マニュアルでは工学的基盤上の表層地盤による増幅係数Gsが「1.5」となっており通常の計算よりは有利になっていることを解説され、復元力特性については、土塗壁や仕口の復元力特性についての資料として用意されていること、垂れ壁付き架構については計算で求めることなどを解説された。

 講義の内容につていは、いきなり計算式の解説になったが、高山マニュアルの作成に携わった一員としては、高山マニュアルを作成することになった経緯や高山マニュアル独自の部分などについて説明して頂けると良かったように思います。また、垂れ壁付き架構の計算については、垂れ壁内の土壁の変異と周囲の架構の変異を組み合わせた複合変異となることの説明がされず計算式のみの説明であったため理解しにくい内容になったと思われます。

 

2.「飛騨高山まちの博物館」・重伝建「上三之町」古い町並み・「高山市政記念館」

  ・国指定重文「料亭洲さき」(見学)

 講義会場の飛騨高山まちの博物館の土蔵内展示見学、上三之町の古い町並み見学、高山市政記念館見学、料亭洲さき見学をしました。

 

飛騨高山まちの博物館 外観          飛騨高山まちの博物館 中庭

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飛騨高山まちの博物館 矢嶋北蔵展示室     飛騨高山まちの博物館 永田酒蔵吹抜

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上三之町 風景                上三之町 風景

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 高山市市政記念館では高山市文化財課の八賀氏よりリニューアル工事の概要説明を受けました。1階の既存土塗壁の下地構成実物展示、2階床梁仕口・屋根仕口の実物展示の見学をしました。

 

高山市政記念館 外観             高山市政記念館 説明の様子

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高山市政記念館 屋根裏説明書         高山市政記念館 屋根裏展示

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料亭洲さきでは個別に各部屋、2階客間の3尺幅1枚板の床の間や飾り棚を見学しました。

 

料亭洲さき 入口               料亭洲さき 玄関

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料亭洲さき 玄関吹抜             料亭洲さき 1階既設の飾り物

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料亭洲さき 1階川の間            料亭洲さき 2階一番の間

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料亭洲さき 2階一番の間床の間        料亭洲さき 2階二番の間飾り棚

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令和5年度 HM 第8日目

テーマ:高山市の文化財・町並み保存の方法と現状について(講義)

    文化財の改修整備活用事例等(見学)

日時 :令和5年9月2日(土) 13:00~17:00

場所 :高山市若者活動事務所「村半」

参加者:24名

 

1.高山市の文化財・町並み保存の方法と現状について(講義)

 講師:高山市教育委員会文化財課 課長 牛丸岳彦 氏

 

① 講義風景                 ② スライド 以前の古い町並みの様子

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 始めに高山市の地理、歴史と、町の発展について概略の説明を頂きました。高山市はいつくかの街道の中心点に位置しており、戦国時代の終わりから町の基盤ができ、高山城が築城されたが城がなくなってからは主に商人町として、幕末から養蚕業により発展していったことを聞きました。また、高山の古民家は町家型と農家型(板葺き)に分けられ、町家型の街並みは出格子が特徴とされているが、かつては蔀戸(しとみど)が一般的であったようです(写真②)。

 その後市内の伝建地区の規制と補助について説明がありました。市が指定した特定物件の修理工事は補助率80%限度額900万円、非特定物件の修景工事は補助率80%限度額500万円の補助があるとの説明がありました。

 また、市内の指定文化財についても説明を受けました。当日の会場となった「村半」は以前は繭の取引を行っていた商家で、しばらくは空き家であったところを高山市所有とし、地元の方々や地元の高校生を中心として一緒に再生プランを作った事例です。

 豊富な画像と資料で興味深く受講しました。とりわけ昔の写真が面白く懐かしく楽しかったです。

 

2.文化財の改修整備活用事例「村半」・重伝建「下町 下二之町大新町」古い町並み・RC耐震改修事例「東本願寺高山別院・照蓮寺」・国指定重文「日下部民藝館」(見学)

 講義会場の村半を見学した後、講義の最後にメンバーで構造担当者の車戸さんから説明があった東本願寺高山別院に向かう道中は、400年前からあるというカネオリの坂道を通りました。

 

③ 高山別院耐震改修仮設の様子        ④ 村半 欄間:電柱とツバメ

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⑤ 村半 外観                 ⑥ カネオリの坂を上がる

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 高山別院は建設当初から幾度も火災で焼失したので現在はRC造となっているものを耐震改修し、高寿命となりました。鉄骨ブレス挿入ではなく、和風格子の耐震壁としたことで評価を受けています。

 

⑦ 高山別院 外観               ⑧ 耐震改修 鉄骨格子部

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 最後は充電建「下町 下二之町大新町」の古い町並みを再び通って「日下部民藝館」を訪れます。ご当主より気取らない旧家の昔話を伺いました。よく隣家の吉島家と比べられ、「日下部家は男性的、吉島家は女性的」などと云われているが、日下部家は元指物師、吉島家は宮大工の仕事であるので様々な相違があると、また、古民家が時代の流れにうち捨てられていく事を免れた、民芸運動などのこれまでの経緯をお話下さいました。暑い中での盛りだくさんの講座となりました。

 

⑨ 日下部家ご当主より説明          ⑩ 美しい日下部家の吹抜

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⑪ 集合写真 日下部家前

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