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ぎふHM 2023年度

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令和5年度 HM 第10日目

テーマ:「伝建地区である岩村町本通りの保存・活用計画と運営の実態」

日時 :令和5年9月16日(土) 10:00~15:00

場所 :午前講義      岩村町コミュニティーセンター 2階会議室

    午後講義・実地研修 講義の後 伝建地区・浄光寺・加納家(恵那市指定文化財)(見学)

参加者:23名

 

建築士会福田様挨拶のあと NPO法人いわむらでんでんけん鈴木会長より講師の紹介

 

鈴木繁生氏による講師の紹介の様子      三宅唯美氏による講義風景

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「岩村城下町のの成立と変遷」(講義①)

 恵那市役所 教育委員会事務局 生涯学習課 課長補佐 三宅唯美様より講義をして頂きました。

1.戦国時代以前の岩村

  加藤景朝が岩村へ来た文治元年(1185)をもって岩村城総築の年としており築城とは表現して

 いない。当時の居館は平地にあった。遠山岩村氏の本拠としての岩村城の総築は鎌倉初期だ

 が、戦闘能力を充分備えた山城への発展は鎌倉中期、室町中期とする説があって明確ではな

 い。

  元亀3年(1572)から天正3年(1575)の織田と武田による岩村城争奪戦により居館も含め城下

 町も破壊され消滅した。

2.都市計画と建設過程

  近世城下町の形成は松平家乗に始まり(1601)その子の家寿の代に完成した。

  家乗は城麓も高台に藩主邸を構え、これを中心に数位の山を防御ラインとし、この盆地に城

 下町を形成した。城下町のほぼ中央に流れる岩村川に重要な役目をもたせ、川北を武士街と

 し、藩主邸から西と北への地形を巧みに利用して武家屋敷を配し道路も防御線を考えて造られ

 た。川の南に一条の町通りを作って町人街とし郭内専土型の近世城下町となった。城下町の完

 成までに30年余りを要し、実質岩村領2万石の大名にとって大変な労力と費用をかけての築城

 であった。

3.城下町の概要

  江戸時代の岩村城下町の状況は天保白絵図でうかがうことができる。本図によると、城下は

 登場坂が大手筋として真直ぐ西方へ伸び、これに2本の横筋(現上横丁、中横丁)が直行し、そ

 の北端は乗政寺山麓、東西方向に馬場通りとなり乗政寺山麓で屈折して新市場を通り木曽街道

 となっている。

  大手筋と両横丁に面して侍屋敷が配され、馬場通りに面しては馬場が建てられ、馬場通り西

 半から新市場にかけて、侍屋敷・中屋敷・足軽屋敷が配されている。川南の東西方向の道(現本

 町通り)に面し、この道沿いに町屋が並んでいる。本町通りの桝型や各所の木戸も描かれていな

 い。

4.近代の市街地拡大

  徳川時代において、武士街はしだいに空洞化し変わって、町人街の発展へと変わっていっ

 た。

  町人街は西町、新町の拡張が見られ新しい商人町が形成された。近代において岩村電車・

 国鉄明智線岩村駅の開業によってさらに新町が発展し現在の町並みが形成された。

 

「伝建地区の現況及び保存活用計画と運営」(講義②)

 恵那市役所 教育委員会事務局 生涯学習課 歴史資料整備課 課長補佐 三宅英機様より講義をし

て頂きました。

 

三宅英機氏による講義風景          講義風景

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1.町並みの保存

  保存地区内の建築物は、長い年月の風雨に晒され、雨漏りがしたり、壁が傷んだりしてき

 ています。

  また、生活スタイルの変化や、新しい建築材料の登場もあり、昔の伝統的な建造物の外観

 が少しずつ変化してきています。この個々の建造物のわずかな変化が、岩村町の本通りの町

 並み全体を大きく変えてしまうことにつながってしまいます。この岩村町本通りの伝統的な

 町並みを住民の皆さんと一緒に守り、後世に伝えていくために、いくつかのルールと助成制

 度が定められています。

2.現状変更の許可

  保存地区内で行われる建築行為(増改築、修理、解体など)が町並みを大きく変えてしまう

 ことにならないように、その計画をあらかじめ教育委員会に申請して頂く必要があります。

  看板の設置、エアコン室外機等の設備機器の設置の他、土地の造成のように直接建物を触

 らないような行為についても、申請が必要な場合があります。

3.助成制度について

  保存地区内の建築行為で、建造物の外観を一定の基準に基づいて整備する場合、予算の範

 囲以内で補助金が交付されます。

  昭和戦前以前の建造物で、今後も保存していくことに所有者から同意を頂いているものを

 「伝統的建造物」としています。伝統的建造物に対して行う工事を「修理」、その他の建造

 物に対して行う工事を「修景」と呼んでいます。修理と修景では、補助金の額や基準が異な

 ります。また、主屋・土蔵、付属屋によっても補助金の額が異なります。この助成制度は、

 伝建地区内の建造物が「文化財」という国民の財産でもある側面を併せ持っていることから

 行われていますので、一般的な住宅のリフォーム等とは異なる意味があります。また、工事

 の完了が保存修理事業の完了ではなく、工事後の兼造津物を適切に維持管理し、良好な状態

 で後世に伝えていくことが、この助成制度の目的です。岩村町本通り伝建地区の町並み保存

 は、住民の方と行政が協力して取り組むことで成り立っています。

  この歴史ある岩村の町並みを保存しつつ、住民の方がこの町に誇りを持って住み続けてい

 けるよう、保存修理事業を進めて行くことが大事です。

  住民の方に対して修理修景事業の簡単なルール説明用として「いわむらデザインガイド」

 を平成23年に発行して事業に対する理解を得るように周知を行っているところです。

 

次回のガイダンス

 令和5年10月14日(土)開催の第11日目講座 海津市 SSドローンプラザ(旧ふるさと会館)会議室の説明がありました。

 

「岩村町の文化財建造物の保存修理と構造方法」

 NPO法人いわむらでんでんけん 志津美穂様より講義をして頂きました。

 

志津美穂氏による講義風景

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伝建補助事業修理プロセス

1.聞き取り調査

  物件担当者とでんでんけんメンバーもう一人、最低2名で現地調査に入る。

  所有者の方、特にご高齢の人に建物の変遷について聞き取り調査を行う。

2.現地調査、現況図作成

  現地調査は、現状平面図、現状立面図、現状矩計図をとり、スケッチする。

  現状平面図とりは、家財道具等荷物が沢山ありスケールを1人で扱うには少々困難である。

  また、この時に柱の大きさを拾っておく(解体してみると、たまに柱が五平になっていること

 がある)。現状立面図は忠実に拾っておく。たとえば、タイルの1枚の寸法・格子の形状寸法

 等、矩計図も解体しないと判らない部分はありますが、出来る限り正確に拾っておく。また、

 屋根の修理工事も行うのであれば、屋根に上がり実測しておく。このような調査があるので2

 名以上で行うようにしている。また、現況写真を残す。

3.復元計画(文化庁現地指導)

  文化庁の現地調査時に復元計画を諮り、修理の方向性(復元をベースとする)を決定する。

  復元計画では、市などが保有している古写真を利用している。復元(外観の)の根拠である証

 拠写真よりも前の痕跡がある場合、どちらを優先するかが最大の悩みです。いずれにしても、

 建具等の形状は江戸時代に遡って復元することは難しく、古写真を参考にしている。

4.実施設計

  文化庁の指導を基に図面及び計画を修正し、実施計画へと移り、設計積算書を作成する。次

 に、元請業者の選定を行い、元請と設計士で打合せを行い伝建物とリフォームの違いを説明し

 理解を求める。契約時に工期等を決定し、本工事へと入る。

5.全体の監理及び解体の伴う痕跡調査

  本工事に入って、解体してみないと判らない痕跡を調査するには、元請業者との綿密な打ち

 合わせが必要となる。

6.痕跡調査を基に痕跡図を作成

  解体を伴う痕跡調査の結果を図面化し写真とともに保存する。修理計画と痕跡との整合性を

 確認する。痕跡調査で判明した新事実で計画の矛盾が判明した時は、市役所の文化課と相談士

 文化庁の指示を仰ぎ計画変更を行う。

その他、施工中に注意すること

「塗装」

  塗装をするときは古色仕上とするもしくは塗装をしない(その建物の現状の色に合わせる)。

  塗装に関する取り決めは岩村にはありません。設計士と所有者さんとの話し合いで決めて行

 きます。本来、外部に塗装をすることは少ないため、無塗装とし年と共に色あせていく儚さを

 楽しんでいただけるような説明を所有者さんにしています。

「建物の高さ」

  建物の高さ(矩計)の変更はしない

  揚屋に伴う工事の場合は柱の長さを守るの、町並みに合わせた高さを守るのか?

  それは、その建物の矩計を維持するのか?現況の町並みを守るために軒の高さを維持するの

 か?この2つのテーマは似て非なる事項です。

  伝統的な修理には大体、土台の修理が付いて回ります。大規模になるほど足元(土台)の修理

 は欠かせないものとなります。でんでんけんの中でも未だに意見がまとまっていない状況で

 す。

「軒先」

  バスが走っていた時代に縮めてしまった軒先を出来る限り伸ばし復元する。

  軒高の低い建物の軒先をどう扱うかが課題です。軒先の復元の在り方も未だに決めかねてい

 ます。それは建築当初は、大屋根、下屋の雨水は水路に流れ落ちていたものが、明治後半~昭

 和時代にバスが運行することとなり、水路は側溝となり水路まで伸びていた下屋庇は切り取ら

 れてしまいました。復元することは可能ですが、問題も発生します。

  1.道路敷内への越境

  2.軒高が低いため、箱形のトラックがぶつかる

「調査をしても明確な痕跡が出てこない」

  改築が多く痕跡が残っていない⇒『現状維持』とする。

  現存しない建具などはどうするのか⇒その他の地域で多くみられる形に合わせる。

「講習のまとめ」

  伝建地区に指定されて国、県、市からの補助金を頂いて個人宅の建物を修理する。

  補助金を使う=個人宅であっても文化財と同じ扱いであるから全て復元するのか?

  住みにくい家ならいらない、いっそ解体して新しい家で修景してしまえばいいのか?

  この矛盾する2つの意見を幾度となく文化庁の担当者と相談しました。

  答えは「聞くものではなく自分たちで出すものだ」とご教授頂きました。

 

恵那市岩村町本町通り伝統建造物保存地区(現地視察)

 引続きでんでんけんの皆さんの案内で地区内を見学しました。

 

「中根家修理工事」(修理工事中)

 今回、見学した中で唯一、修理中の建築物である。外部はほぼ完成となっていたが、2年がかりの大規模な工事であった。

 

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「恵那市指定文化財 加納家」

 加納家は岩村藩付きの鉄砲鍛冶として、鉄砲を製造していた家である。

 建物は文政年間以降に建てられたもので、天保2年(1831)12月に、加納家が移り住み鉄砲鍛冶を生業として生活していた。道路に面する壁は漆喰で塗籠められていて岩村藩にとっては重要な建築物であったことが分かる、加納家の裏は明治12年(1879)までは鉄砲の試射や練習出来るような広場があったといわれている。

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「恵那市指定文化財 浄光寺」

 この浄光寺は、社寺建築では珍しい蔵造りで屋根面に土壁が塗籠められた置屋根造りの建築物である。

 土壁が屋根の上にあることで重量が重くなっている。そのため小屋組を鉄骨で補強し修理工事を実施したそうです。

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 今回の講座で、それぞれの伝建地区内での課題が存在することを知る機会を得ました。

 地域住民の方と設計者との打ち合わせが大変重要であると同時に、施工者においても伝建地区内の建築物を修理することの心構えが必要であると感じる町歩きでした。