岐阜県建築士会 まちづくり委員会

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ぎふHM 2022年度

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HM第16日目

テーマ:岩村の町並み変遷過程(講義)

    ヘリテージマネージャーの役割と現状(講義)

    伝建補助事業修理プロセス(講義・実地)

日時 :令和5年2月18日(土) 10:00~15:30

場所 :午前講義 岩村振興事務所岩村コミュニティーセンター 2階 会議室

    午後講義 同上

    実地研修 恵那市岩村町本通り伝統的建造物保存群保存地区内修理・修景物件の見学

参加者:28名

 

ガイダンス

 石黒会長よりあいあいさつ。

 NPO法人鈴木会長より、岩村でんでんけんの設立の経緯及び事業内容について次のような説明がありました。恵那市岩村町本町通り重伝建地区選定後、他の同規模同規模保存地区に見られる保存会や、修理修景事業を担当できる設計士が育成されておらず、町並みを組織的かつ技術的にサポートできる団体がありませんでした。そのためか住民においても、まちなみ全体として保存整備を捉え、文化財的価値を高めるという意識が育っていませんでした。このような状況を踏まえ、将来のためにも町並み保存を支え、牽引する地元人材が必要であると考えた恵那市が平成19年度、20年度に伝建地区国庫補助事業の設計監理者を公募した。平成20年度から補助事業の設計監理業務を各自担当し、業務を通して 文化財建造物の保存修理の考え方、書類手続、調査と記録等について学びました。

 月1回設計監理打合せ会を実施し、設計監理に加え、研修、啓発活動、組織的な調査等を行い、恵那市内を包括する歴史的建造物の専門家NPO法人を設立し現在まで、活動しています。

 

                      NPO法人いわむらでんでんけん鈴木会長挨拶と

石黒会長挨拶                いわむらでんでんけん設立の経緯について

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岩村の町並みの変遷過程(講義①)

 恵那市役所 教育委員会事務局 生涯学習課 課長補佐 三宅唯美氏に岩村城下を中心に発達した岩村の町並みについて講習して頂きました。

 「岩村城下の成立と変遷」

1.戦国時代以前の岩村

  遠山荘地頭・加藤景朝が岩村へ来た文治元年(1185)をもって岩村城総築の年としており築城

 とは表現していない。当時の居館は平地にあった。

  遠山岩村氏の本拠としての岩村城の総築は鎌倉初期だが、戦闘能力を充分備えた山城への発

 展は鎌倉中期、室町中期とする説があって明確ではない。岩亀3年から天正3年の織田と武田

 による岩村城争奪戦により居館も含め城下町も破壊され消滅した。

2.都市計画と建設過程

 近世城下町の形成は松平家乗が慶長6年(1601)に入府後城下町の造成・経営をはかり、その子乗寿の代に完成した。家乗は城麓も高台に藩主鄭を構え、これを中心に数位の山を防御ラインとし、この盆地中に城下町を形成させて城下町そのものを防御地域とした。城下町のほぼ中央に流れる岩村川に重要な役目をもたせ、川北を武士街とし、藩主鄭から西と北への地形を巧みに利用して武家屋敷を配し道路も防御線を考えて造られた。川南に一条の町通りをつくって町人街とし、郭内専士型の近世城下町となった。社寺の配置も城下町の防御を考えてあり、松平の都市計画の巧みさをしることができる。天正疎水と呼ばれる下町を流れる疎水も整備した。

 江戸時代の岩村城下町の状況は正保白絵図でうかがうことができる。本図によると、城下は登城坂が大手筋として真直ぐ西方へ伸び、これに2本の横筋(現上横丁、中横丁)が直行し、そほ北端は乗政寺山麓の東西方向に馬場通りに、乗政寺山山麓で屈折して新市場を通り木曽街道となっている。大手筋と両横丁に面して侍屋敷が配され、馬場通りに面しては馬屋が建てられ、馬場通り西半から新市場にかけて、侍屋敷・中間屋敷・足軽屋敷が配置されている。川南の東西方向の道(現本町通り)に合し、この道沿いに町家が並んでいる。本町通りの桝型や各所の木戸も描かれていない。

 三代目松平乗賢の時代の享保年間の絵図では上横丁が乗政寺山東側へ迂回して伸び、現新屋敷に中間屋敷や足軽屋敷が配置されている。本町西端には桝型がつくられ、桝型より下手にも町屋が並んでいる。本町通り東端、各横丁入口に木戸が描かれている。元禄16年の『差出帳』には、源吾坂、新市場と下横町を結び侍屋敷地の拡張、整備が図られた。

 明治39年(1906)に岩村電機軌道岩村駅の解説に伴い西町・新町・領家に町域が広がった。

 

三宅唯美氏による講義風景

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恵那市岩村町本通り伝統的建造物群保存地区の仕組、工法について(講義)

 恵那市役所 教育委員会事務局 生涯学習課 歴史資産整備係 係長 三宅英機氏にいわむらでんでんけんが作成した、いわむらデザインガイドをもとに岩村町本通り伝統的建造物保存地区における、町並み保存について講習して頂きました。

 デザインガイドは恵那市がいわむらでんでんけんに発注をし、岩村伝建地区における修理、修景の指針となることを目的に作成されました。デザインガイドの作成以前は、伝建地区の修理事業当初は修理の考え方、修理方法についての住民の方に理解いただくように説明するのがなかなか難しかった。デザインガイドを通して市民の方に説明することで伝建地区への理解がしやすくなったと考えています。

 

 岩村の町並み

  現在の岩村の町並みは17世紀以降のものです。

  町の中を流れる岩村川を挟んで、北側に武家町、南側に町人町が作られました。武家町に現

 存する武家屋敷はわずかですが、町人町には旧家がよく残っています。屋根は通りに面し、平

 入りとするのがほとんどで、壁面は隣家にならって通りより控えて建てられるのが一般的な形

 式です。通りは坂道の傾斜に沿って軒先の高さがそろった、美しい町並みを形づくっていま

 す。

 

 岩村の町家の特徴

  岩村の町家は主屋はいずれも通り庭形式の町家型の平入り、二階建て、桟瓦葺もしくは鉄板

 葺きです。車の通行をしやすくする為に一階の軒が切られていることも特徴の一つです。

  外形上の特徴は深い軒を支える出桁構造で、腕木下に繰型付き持送りを付けたり、一階の軒

 先に幕板をつけたものもあります。

  比較的軒の低い「厨子二階」と言われる造りが多く、江戸時代の主屋では、元来表側にだけ

 二階が設けられていました。明治に入ると裏側にも二階を設けるようになり、明治30年代にな

 ると総二階が現れるようになりました。在来の板葺石置屋根のときには、屋根下地は竹下地で

 した。

  岐阜県屋上制限規制(大正10年施行)に伴う屋根の改造により、本町通りの町家の多くは、前

 面および背面の軒高を上げ、柱間装置も改めたものが多くあります。江戸時代の柱間装置は、

 一階では、入口は大戸、ミセ・オクミセ・シモミセ部分は蔀で、二階の窓には出格子もしくは

 平格子を付けるのが一般的でした。明治期に入ると一階のミセやオクミセ部分に出格子を付け

 たり、入口部分は引違戸に改められるほか、店舗ではショーウインドウを付けたり、前面ガラ

 ス戸に改変することが多くなり、町中で現在でも数多く見ることが出来ます。

  配置、平面形状は、間口が狭く南北に細い敷地割りが多く、奥行きの深い一列四間型や二列

 八間型やそれらの変形が多いのが岩村町家の特徴といえます。使われている材料は柱などに使

 われている木材は桧がほとんどで、この地方の特徴をよく表しているといえます。栗材もよく

 使われています。土壌が栗の育成に適しており、庭によく植えられていたことが影響したと思

 われます。

  岩村の本通りは商人町ということもあり土壁が多く使われています。左官技術もすぐれたも

 のがあり、土蔵などでは、漆喰の鏝絵などもみることができます。

  ショーウインドウ、腰壁などに使われているタイルは、多治見市笠原産のタイルが使用さ

 れ、外観上の重要なワンポイントになっています。

  旧態をとどめた落ち着いた雰囲気のある専用住宅が多く、岩村町の商業の中心地として栄え

 ました。

 

 「地区による特徴」

 本町の町家

  本町地区は江戸時代には城下町の町人町があった場所です。主屋のうち約4分の1は江戸時

 代の建築物です。敷地のほとんどが東西にのびる通りに面して4~5間の間口で区画され南北

 に長い地割になっています。建築物は連坦して建っており、そのほとんどが平入で、厨子二階

 建及び二階建てを基本としています。これらの町家は平面は通り庭のある一列三間、一列四間

 を基本とするものが多く、ドマミセをもっていたとみられるものも少なくありません。敷地内

 には中庭を設け、奥に離れや座敷や土蔵などがあるのもが多くみられます。

  江戸時代の町家は板葺石置屋根で(勾配は2寸8分から3寸程度)、大正10年施行の岐阜県屋

 上制限規制以降に瓦葺きや鉄板葺きに改められました。現在鉄板葺きの屋根は昔ながらの勾配

 を保っており、瓦葺きのものは、棟高を上げ勾配を変更したものです。表の柱間がガラス窓等

 に変わっているものが多く、当時の痕跡から以前の姿を想像することができます。

 

 西町の町家

  西町地区はえど江戸時代後期から形成された東側と、明治時代末から形成された西側からな

 り、当初から異なる時代の建物が混在しています。地割は、裏通りで区画されるため奥行きが

 短くなっています。建築物の多くは明治以降に建てられ、木造2階建瓦葺きのものが多くなっ

 ています。

  西町は商店街を形成しており、通りに面した一階部分の外観は店舗化に伴う改造が進んでい

 ますが、2階部分は看板、鉄板などの裏に隠れていますが、伝統的な形態も残っており、新し

 い形態と混在してみられます。

 

 柳町の町家

  柳町地区はとう東西方向にのびる本通り対し、桝型から南にのびる南北方向の通りです。

  柳町には江戸時代には足軽長屋があり、その南端には、県史跡の一条信能終焉跡があり岩村

 神社として祀られています。現在の町並みは明治から大正時代の建物からなり、10軒が棟続き

 で作られた町家もあります。

 

 新町の町家

  新町地区は西町西側と同様に明治39年岩村電車の開通により栄えたまちです。

  新町は、商店は少なく専用住宅が多くなります。全体に建築当初から軒が高く、二階部分も

 居住空間として用いられています。

 

町並みの保存

 保存地区内の建造物は、長い年月の風雨に晒され、雨漏りがしたり、壁が傷んだりしてきています。また、生活スタイルの変化や新しい建築材料の登場もあり、昔の伝統的な建造物の外観が少しづつ変化してきています。この個々の建造物のわずかな変化が、岩村町の本通りの町並み全体を大きく変えてしまうことにつながってしまいます。この岩村町本通りの伝統的な町並みを住民のみなさんと一緒に守り、後世に伝えていくために、いくつかのルールと助成制度が定められています。

 

現況変更の許可

 保存地区内で行われる建築行為(増改築、修理、解体など)が町並みを大きく変えてしまうことにならないように、その計画をあらかじめ教育委員会に申請していただく必要があります。

 看板の設置、エアコン室外機等の設備機器の設置のほか、土地の造成のように直接建物を触らないような行為についても、申請が必要な場合があります。

 

助成制度について

 保存地区内のけ建築行為で、建造物の外観を一定の基準に基づいて整備する場合、予算の範囲内で補助金が交付されます。

 昭和戦前以前の建造物で、今後も保存していくことに所有者から同意をいただいているものを「伝統的建造物」としています。伝統的建造物に対して行う工事を「修理」、その他の建造物に対して行う工事を「修景」と呼んでいます。修理と修景では、補助金の額や基準が異なります。

 また、主屋・土蔵、付属屋によっても補助金の額が異なります。この助成制度は、伝建地区内の建造物が「文化財」という国民の財産でもある側面を併せ持っていることから行われています。一般的な住宅のリフォーム等とは異なる意味がある。また、工事の完了が保存修理事業の完了ではなく、工事後の建造物を適切に維持管理し、良好な状態で後世に伝えていくことがこの助成制度の目的です。岩村町本通り伝建地区の町並み保存は、住民の方と行政が協力して取り組むことで成り立っています。

 この歴史ある岩村の町並みを保存しつつ、住民の方がこのまちに誇りを持って住み続けていけるよう、保存修理事業を進めていく事が大事です。

 

三宅英機氏の講義風景            昼食の弁当

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いわむら伝建地区修理の技法(講義)と恵那市岩村町本通り伝統的保存地区(現地視察)

 現地視察の前にいわむらでんでんけん 志津美穂氏にいわむらでんでんけんが取組む伝建地区における建造物の修理、修景について講義して頂きました。

 

伝建補助事業修理プロセス

1.聞き取り調査

  物件担当者とでんでんけんのメンバーもう一人、最低2名で現地調査に入る。

  この時に、現状平面図・現状立面図・矩計図をとり、スケッチする。

  この時の平面図とりは、家財道具等荷物がたくさんありスケールをひとりで扱うには少々困

 難である。また、この時に柱の大きさを拾っておく。(解体してみると、たまに柱が五ひらにな

 っていることがある)立面図は、現状に忠実に拾っておく。たとえば、タイルの一枚の寸法・格

 子の形状寸法等。矩計図も解体しないとわからない部分はありますが、出来る限り正確に拾っ

 ておく。また、屋根の修理工事も行うのであれば、屋根に上がり実測しておく。このような調

 査があるので2人以上で行うようにしている。

 

2.現地調査、現況図面作成

  建物を図面化して修理計画をたてる。現状写真を残す。

 

3-1・2.復元計画(文化庁現地指導)

  文化庁の現地調査時に復元計画を諮り、修理の方向性(復元をベースとする)を決定する。

  復元計画では、市などが保有している古写真を利用している。復元(外観)の根拠である。

  証拠、写真よりも前の痕跡がある場合どちらを優先するかが最大の悩みです。いずれにして

 も、建具等の形状江戸期に遡って復元することは難しく、古写真を参考にしている。

 

4.実施設計

  文化庁の指導を基に図面及び計画を修正し、実施設計へと移る設計積算書を作成、元請業者

 を決めて頂く元請業者を決定後、元請と設計士で打合せを行い伝建物とリフォームとの違いを

 説明し理解を求める契約時期、施工時期を決定し、本工事へと移る。

 

5.全体の管理及び解体の伴う痕跡調査

  このように解体してみないと分からない痕跡を調査するためには元請業者との綿密な打合せ

 が必要となる。

 

6.痕跡調査をもとに痕跡図を作成

  解体を伴う痕跡調査を行う。

  調査で分かった痕跡を図面、写真に保存する修理計画と痕跡との整合性を確認する。

  痕跡調査で判明した新事実で計画の矛盾が判明した時は市文化課と相談し文化庁の支持を仰

 ぎ計画変更を行う。

 

いわむらでんでんけん 志津美穂氏講義風景

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図面に残す    現状平面・立面・矩計・計画平面・立面・矩計

現状図面の描き方 柱の大きさ・柱の内々間隔を計ることにより柱ピッチがわかる

         建物全体の変遷(修復履歴等)痕跡図として残す

         柱、梁など個々の痕跡図作成(ほぞ穴、荒壁跡、釘穴)

『施行中』

塗装    塗装するときは古色仕上げとする

      もしくは塗装しない(その建物の現状の色に合わせる)

      塗装に関する取り決めは岩村にはありません。設計士と所有者さんとの話し合いで

      決めています。本来、外部に塗装をすることは少ないため、無塗装とし年とともに

      色あせていく儚さを楽しんで頂けるような説明を所有者さんに説明しています。

 

建物の高さ 建物の高さ(矩計)の変更をしない

      揚屋に伴う工事の場合は柱の長さを守るのか、町並みに合わせた高さを守るのか?

      それは、その建物の矩計を維持するのか?現状の街並みを守るために軒の高さを維

      持するのか?この2つのテーマは似て非なる事柄です。

      伝建物の修理には大体土台の修理が付いて回ります。大規模になるほど足元(土台)

      の修理は欠かせないものとなります。でんでんけんの中で未だに意見がまとまって

      いない状況です。

 

軒先    バスが走っていた時代縮めてしまった軒先を出来る限り伸ばし復元する

      軒高の低い建物軒先をどう扱うかが課題

      軒先の復元のあり方も未だに決めかねています。それは、建築当初は大屋根、下屋

      の雨水は水路に流れ落ちていたものが、明治後半~昭和時代バスが運行することと

      なり、水路は側溝となり、水路まで伸びていた下屋庇は切り取られてしまいました。

      復元することは可能ですが、問題も発生します。

      1.道路敷地内への越境

      2.軒高が低いため、箱形のトラックがぶつかる

 

調査をしても明確な痕跡がでてこない

 改築が多く痕跡が残っていない➡『現状維持』とする

 現存しない建具などはどうするのか➡その地域で多くみられる形に合わせる

 

講習のまとめ

 伝建地区に指定されて国、県、市からの補助金を頂いて個人宅の建物を修理する。

 補助金を使う=個人宅であっても文化財と同じ扱いであるから全て復元するのか?

 住みにくい家ならいらない。

 いっそ解体して新しい家で修景してしまえばいいのか?

 この矛盾する2つの意見を幾度となく横地氏と相談しました。

 答えは聞くものでなく自分たちで出すものだとご教授頂きました。

 

人が住んでこそ建物は長持ちする。「住み続けてもらうための修理・修景事業」

 

伝建地区のこれからの課題

 所有者さんのどう理解度を高める

 ・歴史(時代、成り立ち)を感じられる街並み

 ・残すための修理・修景事業

 ・個別の家も大事だが、それぞれが集まってできた町並みが重要

 ・その建物を維持することが最も重要

 伝統的保存地区における修理、修景の違いと、文化財の修理の考え方、修理方法について理解することができたと思います。

 

恵那市岩村町本通り伝統的建造物群保存地区(現地視察)

 引続きでんでんけんの皆さんの案内で地区内を見学した。

 

「中根家修理工事」(修理工事中)

 今回、見学した建物で唯一、修理中の建築物である。中は工事中であることもあり見学することは出来なかったが今後の業務に大いに参考となった。現在、基礎工事中で揚屋をしたうえで基礎を施工する工法を取っている。

 住宅ということもあり、当初からは内部は、かなり改変されているようで、大規模な改修工事に見受けられた。

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「水野家店舗」(修景工事)

 今回ご紹介頂いた事例のなかで、唯一の修景物件の水野家店舗である。

 修景とは、条例で定められた修景基準にあわせた建築物です。岩村の伝統的建造物との調和を考慮し修景した建物でこの水野家も岩村の町並みと周囲の建物との調和を考慮し計画されている。今後改修計画するうえでどう周囲との調和をとって計画していくのか課題である。

 

改修前 南全景               改修後 南全景

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「恵那市指定文化財 鉄砲鍛冶屋加納家」

 旧加納家は恵那市指定文化財で鉄砲鍛冶当時の建築物としてでんでんけんが担当した建物です。

 

「加納家」での現地視察の様子

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 加納家は岩村藩付きの鉄砲鍛冶として、鉄砲を製造していた家である。

 建物は文政年間以降に建てられたもので、天保2年(1831)12月に、加納家が移り住み鉄砲鍛冶を生業として生活していた。道路に面する壁は飯喰で塗籠められていて岩村藩にとっては重要な建築物だったことがわかる。加納家の裏は、明治12年(1879)までは鉄砲の試射や練習できる様な広場があったといわれている。

 

「(仮)小林家」(修理工事)

 小林家は伝建地区の建物を用途変更し現在、宿泊施設として有効利用されている建物である。

 今回見学した建物の中では登録有形文化財の趣旨に一番近い建物で、今後の自分たちの業務に大いに参考となる物件だと感じられた。

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「浄光寺」(修理工事)

 この浄光寺は社寺建築では珍しい蔵造りで屋根面に土壁が塗籠められた置屋根造りの建物である。土壁が屋根の上にあることで重量が重くなっている。そのため小屋組を鉄骨で補強し修理工事を実施したそうです。

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